他愛もない話し
面白い動画を見つけました。31インチディスプレィと5万円のヘッドフォンで楽しんでいる。
練習風景で指揮者のかけ声も聞こえてきます。
「各楽器の音は前へと伝わり一つの音となったのを演奏会で聞いているのよ。
そしてティンパニ奏者が一番の高給をもらってるのよ」と娘が言っていた。
William Tell Overture, ティンパニからの視界:ロッシーニ『ウィリアム・テル』序曲から - YouTube
Carmen - Overture :カルメン「闘牛士の行進」 - YouTube
Dvorak Symphony 9 - Movement 4 (ending): ティンパニからの視界、
ドヴォルジャーク、新世界より - YouTube
Radetzky March (with Timpani added)−ラデツキー行進曲 - YouTube
Beethoven Symphony 5 - Movement 1, ティンパニからの視界:
ベートーヴェン交響曲第5番の1楽章 - YouTube
Timpani, Beethoven N.9, 2nd, 1st, 4th Mov. Excerpts recording by iPhone
and
GoPro! (O.S.A.) -YouTube ベートーヴェンの第九から
私は成績が良くなると応援する隠れ阪神ファン・・・
今年はひょっとすると1964年(昭39)の南海−阪神以来、59年ぶりに関西シリーズが
実現するかも?そうなれば阪神タイガースとオリックス(元、阪急ブレーブス)が御堂筋を挟んでの
決戦と成り、阪神百貨店と阪急百貨店の決戦でもある。そうなると優勝セールか応援感謝セール。
いずれにしても大売り出し。頼むで阪神とオリックス。
リーグ2位・3位のときはクライマックスシリーズを楽しめるがリーグ優勝となると、
これがやっかいで日本シリーズに出れない可能性もあるという不安にもなる。勝手なものですね。
ちなみに、岡田監督は私が自営業をしていたときの同業者の息子さんです。
支部会で監督のお母さんと一度あいさつを交わしたことがありました。綺麗なお母さんでしたよ。
大阪人の会話は「アレ」で始まり、「アレ」で終わる・・・
岡田監督が選手たちに言った最初の言葉が「今年はアレに向かって行こう」だったとか。
アレは優勝のことだと言うのは大阪人はわかる。
大阪人は「おーい、あれ何処にある?あぁ、あれなぁ。あそこや。わかった、あそこやな」で
通じると言われている。
御堂筋・・・
Youtubeで青春時代の歌を楽しんでいた。
坂本スミ子さんの”黄昏れの御堂筋”https://www.youtube.com/watch?v=Yz6PcMsbZDYを
聴いているとき妻が部屋に入って来て「何んの歌、誰が歌ってるの?」と聞いたので
「”黄昏れの御堂筋”歌ってるのは坂本スミ子。映ってるのは御堂筋や。結婚前によく歩いたやろ」
と答えると認知症の妻は「ふぅーん、そうかなぁ。覚えてないわ」・・・
妻との出会いは店の近くにあったプールだった。
下請けの印刷所で見習い中の職人に「仕事終わったら何してるの?」と聞かれたので
「友達と食事とかボウリング場とかゴルフに行くとかやで」と言うと
「善隣館のプールに来ないか?」と言われ「あそこは幼稚園やろ、プールなんてどこにあんねん
(あるの)」「地下にあんねん。25mの温水プールや」「25mなんて飛び込んだらゴールやないか。
つまらんわ」「女の子ばっかりやで。そこでコーチしてんねん」と続き、
「女の子ばっかり!そんなら(そうなら)行くわ」と二つ返事。
翌日に訪ねると、なるほど男性生徒は3名ほどであと15名ほどは女子。さっそく入会手続きのあと
海水パンツに替えてプールサイドへ。4コースにそれぞれコーチが付いていた。
コーチからの声掛けがあるまで軽く泳いでいると「息継ぎのとき少し体が硬いよ」と女性の声。
この声の主が今の妻。
彼女はコーチではなく、大阪市の百貨店水泳競技大会の選手として練習に来ていた。
何故か気が合い一年後の10月に結婚。私が25、妻が24歳だった。
友達として付き合っていた女の子はいたが、結婚までは考えになかった。
三人の子供も善隣館プールで小学生の間にそれぞれ選手コースまで進んだ。
妻が事務員として勤めていたのは心斎橋大丸百貨店。
その頃の百貨店は月曜が休日だったので日曜の夕方は心斎橋から淀屋橋まで御堂筋を
何回歩いただろう。淀屋橋から特急で京都にいくのがデートコースだった。
長堀通りを跨いでいた心斎橋もいつからか姿を消し、横断歩道の両脇に少しだけ面影を残している。
大阪では南北に走る道路は「筋(すじ)」。東西に走る道路は「通(とおり)」という名前が
付けられています。
パソコンに入れてある結婚までと結婚式の写真を31インチディスプレイで妻に見せると
「これ何処?」「三千院や」「あっ、初デイトや」「これ何処?」「赤穂岬や」「これ何処?」
「越前岬や」「これ何処?」「淡路島の慶野松原海水浴場や」「いやーっ、水着で写ってる。
足太いなぁ」「これは分かるやろ?」「富士山登ったときのやろ?なんぼ認知症でもわかるで。
これ何処?」「新婚旅行で行った沖永良部島や」
「また私、水着で写ってるやん。おとうさん私より背が高かってんな」とかの他愛無い会話でした。
前ページの数学好きの友人からのメッセージ
「子供、孫たちが幸せに暮らして欲しいと願って亡くなる親がいても、私を供養してくれと
言い遺す親がいるのだろうか?YouTubeで先祖供養をしない人の末路とか、仏壇のロウソクの灯の
揺れ具合で先祖が喜んでいるとか悲しんでいるのがわかると言っている坊主が居るよ。糞だね」
「それと、坊主を呼んで読経や法事をして、亡くなった人に功徳とやらがあるのか?
坊主は仏壇の御本尊とやらに向かって自身の悟り・生き方を求めて経を読んでいるのだろう?」
なるほど、観てみると得意げに言ってるなぁ。死んでから仏に成るなんてことを言ってるなぁ。
先ず、各宗派・開祖の誰が先祖供養をしない人の末路とかロウソクの灯の揺れ具合などを説いたか。
そのようなことがどの経典にかかれているのか。
次に僧侶が読経するのは御本尊に向かってであり、経典の功徳を参列者に廻し向ける(回向する)
のであって、亡くなられた人への言葉ではありません。
次に功徳とは、他者に対して善行を積む行為ですがそれによっての見返りを求めてはいけません。
仏教は「何々をしたから見返りの利益(りやく)が得られる」とは説かない。
作善行為の否定・・・親鸞
歎異抄・第五章 「父母の孝養のためとて 一返にても念仏もうしたること いまだそうらわず」
〜わたしは、親孝行といえども亡き人に念仏を唱えたことは一度たりともありません。
阿弥陀さまの本願(他力)を信じ、絶対的な弥陀の誓願(絶対他力)にゆだねている私です。
その私が阿弥陀さまの代わりに亡くなられた方に唱えるものではありません。
そのような行いは、阿弥陀さまの方から私たちへ救いの働きをし続けておられる。
ましてや阿弥陀さまが私たちを救わずにはおれないという誓いを無視した自分勝手のものであり、
迷いそのものの現れである 〜
「無功徳」・・・ 禅宗の祖、達磨大師の言葉
達磨禅師は六世紀にインドから中国に禅を伝えました。中国に来た禅師は梁の武帝から
「わたしは即位以来この日まで、多くの寺院を建立し、経典を書き写し、また僧尼たちを援助してきた。これらの行為には、いかほどの功徳があるや」と質問しました。
それに答え禅師は「功徳などあるものか=無功徳」と一喝しました。
これは功徳・利益を求める行為は己の利を求めるに過ぎない。
そのような行為に功徳などあるものか。供養になるものか。と言い放ったのです。
Youtubeの面白い歴史サイトを楽しんでいる・・・
最近、面白かったのは織田信長が明智光秀に宛てた「本能寺に参れ」という書状が見つかった
ことで、光秀が老いの坂で家臣に「敵は本能寺にあり」と告げて本能寺に奇襲をかけたのは
疑問視されること。
他にも「へぇーっ」と思う証拠・書状が映し出されて面白く、講師の適格な話し方と
女性アシスタントとの間合いも好感がもてます。
次回は しばらく休み です
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