沖永良部島 (おきのえらぶしま)
女子大学4年の孫が地域のことを色々な人(外国人観光客など)に知ってもらうための地域のPR資料を
作成しようか!となり、その見本としての参考資料「沖永良部島の暮らし方」というパンフレットが
配られたそうです。
それを聞いた娘(母)が「じいじとばあばの新婚旅行は沖永良部島やってんで」と孫に伝えると
「へぇー、じいじとばあばの新婚旅行、沖永良部島やったん」と驚いたそうです。
1971年10月17日、新婚旅行は観光地をできるだけ避けることにして、
沖永良部島へ行きました。鹿児島までの往復は寝台列車「あかつき」を利用。
鹿児島に着くと、タクシーで仙巌園へ。そのあとタクシーで宿泊の旅館へ。
翌朝、Gパンと普段着に着替え、スーツと嫁の衣装他を近くの郵便局から自宅へ送り、桜島観光。
翌日、沖永良部島へ向かうため空港へ。
当日は30度近くの暑さの中、他の新婚さんはお決まりのスーツと新品の洋服なので汗だくだった。
鹿児島空港を離陸すると開聞岳を旋回しながらの
光景はハッキリ覚えている。着陸後、タクシーでホテルに着くと
「大阪から新婚さんが来る」ということが話題になっていたのか、先ず数人の小学生が花を
持ってきてくれました。そして翌日徒歩20分程の砂浜で泳ぎを楽しんだ。
砂浜は私たち二人だけだったのを覚えている。帰り道では何人かの人が、サトウキビを剥いて
「美味しいから食べなさい」と差し出してくれました。夕方になると、日焼けしたおばあちゃんが
「モンキーバナナだよ」と言って、小さなバナナを持ってきてくれました。
当時はまだまだ観光化されていなかったので大阪からの新婚旅行者は話題になっていたのでしょう。
地元の方たちのあたたかい迎えを忘れません。
このことを「おきのえらぶ島観光協会」に送信すると
「53年前の新婚旅行先として沖永良部島を選んでいただきありがとうございました。
お問い合わせのホテルは現在ではリゾートホテルとなっています。
そしてぐ近くの小学校の写真を送ります」との連絡。
3泊した当時のホテル。そして当時と現在の小学校の写真を妻と一緒に見ました。
認知症の妻は「へぇー、へぇー。お父さん私より背が高く髪の毛ふさふさ」と言って大喜び。
そう言えば、久しぶりに会った姪も
「あれっ、おっちゃん私より小さくなって、可愛いおじいさんになって。ハグさせて!」
オムツをしていた姪も今は3人の母親。その姪にハグしてもらって喜んでいる
78歳のおじいちゃんとなりました。

桜島をバックに仙巌園にて。 |

鹿児島空港 |

搭乗前。他の人たちは汗だく |

沖永良部空港に到着 |

ホテル近くの小学校 |

現在の小学校。グランドにあったブランコは? |
沖永良部島との縁を感じて53年前を思い出しました。
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