何でもメモ(2021/6/2〜 Up)
新聞などで目にした快いエッセー・メモしていた言葉などを綴ります。
元日本ハム監督で野球解説者の大島康則さんのブログを読んで感心していましたが、
2021年6月30日に亡くなられました。
現役時代は中日と日本ハムで活躍した好手でもあり、ポカもありの面白い選手だったが2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の打撃
コーチとして選ばれ、優勝したときに「昔からオリンピックに出場するのが夢だった
んだ」と金メダルを首に掛けられた瞬間から人目を憚らず号泣する純粋な姿を見て
「いい男」だなぁと思った。
17年2月にステージ4の大腸がんを公表。21年5月29日に自身のブログを更新。
亡くなられる数日前の彼のブログから・・・
「この先の人生 何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど
特別なことは何も浮かばない(笑)」
との書きだしで、先輩後輩、仲間、家族との思い出に触れ
「楽しかったなぁ…これ以上何を望む?もう何もないよ。幸せな人生だった」
さらに、
「病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで
俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ」
・・・悟りきった言葉です。
「ママちゃんと手をつなぐ」「ハワイに行った時くらいしかしなかったけど(笑)」
「今は、よくママちゃんと手をつないでる」と書かれていた。
きっと、旅立つときもママちゃん(奥さん)に手をつないでもらっていたんだろなぁ。
安らかにお眠りください・・・
*もうひとつのブログ・・・
児童8人の命が奪われた大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の
児童殺傷事件から、6月8日で20年となる。
事件で娘を失った母親の一人は昨年、グリーフケア(悲しみのケア)のための
ライブラリーを東京都内に開いた。
「大切な人を亡くすなどした喪失感や悲しみを抱える人たちに寄り添う場所を
作りたい」。そんな願いが形になった。
2年生だった長女の優希(ゆき)さん(当時7歳)を失った本郷由美子さん。
事件当時は大阪府池田市に住み、7年前に東京に転居した。
昨年11月、自宅近くの光照院(東京都台東区)の敷地内にライブラリー
「ひこばえ」をオープンした。
庶民の悩み・苦しみに寄り添い、一歩前進の心をつちかう処としての場を
提供して、大乗仏教を実践する寺が増えていくことを願っている。
その行為実践のために固定資産税が優遇されているのでは?・・・ネットより
「ひこばえ」は、切り株から出る若い芽を表す。「幹を切られてもやがて新しい
芽が出るように、再生への一歩を踏み出してほしい」との願いを込めた。
8畳ほどの部屋に約760冊の絵本や児童書、紙芝居などが並ぶ。
失意の底にいたとき、前を向くきっかけをくれたのが絵本だった。
蔵書の「いつでも会える」(菊田まりこ著)もその一つ。
事件直後、本郷さんを気遣う複数の友人らから贈られた。
大好きだった飼い主の少女が亡くなり、悲しむ犬の物語。
犬は少女のことを思い浮かべると、いつでも少女に会えると気づき、
少女の死を受けとめられるようになる。
最初は読む気になれなかったが、少しずつページをめくり、自分たちの姿を
重ねるうちに「優希はいつもそばにいてくれる」と感じられるようになった
という。悲しみとどう向き合い、折り合いをつければいいのかが知りたくて、
2011年から上智大グリーフケア研究所が関西で開く養成講座に通った。
専門的に学ぶうちに、支える側に なりたいという気持ちが強くなった。
本に生きる力をもらった――。交通事故の遺族や東日本大震災の被災者の
支援に取り組み、その中でよく聞いた言葉。自身の体験とも重なり、
ライブラリー開設のヒントになった。
全国で行っている講演の謝礼などで資金をためた。
会いたいと願っても会えない。亡くなってしまった人との消えない思い出のお話。
でも、目をつむるとね・・・ まぶたの裏でいつでも会えるんだってこと。
本当に会えないけれど、心の中ではずっと行き続けていているでも会える
ということを教えてくれました。悲しくて泣けてきたけど、元気をもらえる
お話だと思います。(ミニミニさん 20代・ママ 女の子4歳、女の子2歳)
この本と大島康則著『がんでも人生フルスイング 「中高年ガン」と共に生きる
”患者と家族”の教科書を』読みたくて、さっそく娘に注文してもらい、
家に持ってくるのは娘が読み終わってからでいい。とlineで連絡した。
「することがないけぇと言って そのひとはいつも 草取りをしている
グランドゴルフもしない スマホも持たない 本も読まない
することがないけぇと言って その人は天気が悪くなれば 無人駅の
草取りをしている」・・・某新聞より・・・することがあるのです。立派な人です。
某新聞の「朝ばれエッセー」を検索してください。いい話が綴られていますよ。
みなさんそれぞれの暮らしの中での、活きて・生かされているです。
素晴らしい「法話」です。
愛しい人との別れを仏教教義で問い詰めていけば「忘れること。執着するな」
である。年回忌・お盆・お彼岸・施餓鬼会等々、亡者に絡ませる死後の行事は
仏教に説かれていない。遺族の感情論に便乗し、布施と称する金銭を受け取り、
妻子を養う姿が出家者である筈がない・・・ネットより
次回は その2 です。
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