何でもメモ・2 赤字は私の言葉です。

こんな顔
  人の悪口を言っている人から たまらず視線をずらした
    私も こんな顔をして 人の悪口を言っているのか と思った」

「生きるためには働か無くてはいけない そこに 自分自身の意義や目的を
    持たなくてはいけない 完遂(かんすい)を 求めなくても」


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*ここで、お話し会のメモをUpします・・・赤字は私の答えです。
お坊さんって何? 職種が僧侶だけの人。
お坊さんって、聖職者? お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。

お坊さんって、何をする人?
お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。

お寺、お坊さんに頼まないと死んだ人は天国に行けないの?
お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。

仏教って「執着するな」でしょう。なのにどうして、お墓・仏壇・年回忌に
こだわるん?
おかしいですね。 お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。

お坊さんがいないと、亡くなったお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんに
感謝できないの?
そのようなことはありません。

お坊さんって、何を悟ったの?あなたの悟りって?
お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。
私の悟りと言うよりも、私が気づいたこと。それは
「人ありて 我あり・・・人様のおかげさまで活かされ、生かせていただいている」


お坊さんの悟りと私たち(庶民)の悟りの違いって?
お坊さんの悟りは、 お坊さんの一人一人に問いかけて下さい。
庶民の悟りは日々の暮らしに於ける現実への一つ一つの対処の結果。


小乗仏教は分かりやすいけど、大乗仏教ってなんなの?
日本は大乗仏教でしょう?自分はさておいて、他の人を救い上げるのが大乗でしょう?
利他行でしょう?なのに、お坊さんって、菩薩として自分の悟ったことを自分の言葉で
話し、導いてくれないの?
小賢しい仏教用語をならびたて悦に入っているお坊さんって、小乗そのものだよね。
言うことは大乗。していることは小乗。

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            続けて赤字は私の言葉です。

自分の後ろ姿は 自分じゃ見えねんだなあ・・・相田みつを
人さまは、表面だけ繕う人間をとうに見透かしている。
小賢しい仏法とやらを言いたがる坊主をも。


人が十人集まれば、二人は箸にも棒にも掛からぬ者がいる・・・松下幸之助
上の二人に成れないけれど、下の二人にならない努力をこころがけなければ。
間の六人のなかでつつましく生きていければ可もなく不可もなし・・・
それが私の人生観ってとこかな。


なんでもいいからさ本気でやってごらん 本気でやれば たのしいから
本気でやればつかれないから つかれても つかれがさわやかだから・・・相田みつを

私が本気で出来ることは「好きなことをしているときだけ」
疲れても、疲れても。でも楽しい・・・これが私の精一杯。


寛永十九年(1642)、前年天草の初代代官として着任した鈴木重成の兄・鈴木正三
(しょうさん)に、ある職人が「極楽往生を願って仏道修行に励めと言われても、
わしらは身過ぎ世過ぎの家業に追われるばかり。
信心の為の暇などありません。どうしたらよいでしょう」と問いかけた。
答えて正三は「何れの事業も皆仏行なり。人人の所作の上に於いて成仏したまふべし
[人それぞれのなりわいの中に仏道への機縁があるのだ]仏行の外なる作業有る
べからず。一切の所作、皆似て世界のためとなる事を知るべし。
仏体を受け仏性そなはりたる人間、心得悪しくして好み悪道に入る事なかれ。
本覚真如の一仏、百億分身して世界を利益したまふなり。
鍛冶番匠(大工)をはじめて諸職人なくしては世界の用所、調ふべからず。
武士なくして世治まるべからず。農人なくして世界の食物あるべからず。商人なくして
世界の自由[=物流]成るべからず。此の外所有事業出で来て世のためとなる」
このような考えでもって武士、農人、商人それぞれの職分を説いていきます。
おのおのの職業に、世のため人のため
との念をこめ、一心に打ち込むことそれ自体が仏道修行であり、己を十全に生かすみちである。というように。
そのような唱導への情熱が正三(しょうさん)を出家に駆り立てたのだと思うのです。
それが自分の天職であると見定めたのだ。・・・と。
以上、田口孝雄著・「天草今原一揆後を治めた代官 鈴木重成」より。

金銭を受け取っての葬式だけしかしない。できない坊主、ましてやあたりまえの如く
家業を継ぐ寺族に正三の出家者としての気構えがあるだろうか?出家者とは程遠い
職業坊主にあるだろうか?
世の人々を救い上げるという菩薩行に程遠い坊主のなんと多いことか・・・ネットより


怨親平等・・・
仏教は大慈悲を本とする教えです。鈴木重成は島原・天草の乱のあと、島原では、
高来(たかき)、天草の僧侶を集め八幡宮境内で七日間の一揆勢、幕府軍、
そして乱に巻き込まれた人々の亡魂供養を起こない、島原・北有馬に願心寺(浄土宗)、
口之津に玉峰寺(曹洞宗)を開創し、天草に二つの神社、十二の曹洞宗寺院、
七つの浄土宗寺院、一つの真言宗寺を再建・創建した。
重成によるキリシタン供養は宗教の相違を超えようとする敵も味方も平等である
怨親平等の心で敵味方の死者の霊を供養し、恩讐を超えて平等に極楽往生
させる鎮魂行為である。特に陣僧としての時宗僧の活躍が知られている。

そして重成の兄である曹洞宗僧侶鈴木正三も重成の招きを受け天草に来て以来、
一軒の檀家も持たず大乗仏教の根本である衆生を救済する利他行と怨親平等を
貫いた。そこには、寺と檀家で作られてきた信頼関係ではなく、権力に強制された
檀家制度に便乗し、葬式と死後の行事を家族の食い扶ちとする観念は全く見られない。
また正三は当時の、迫り来る南蛮勢力と祖国防衛的な面から書き上げた破切支丹」で
キリスト教を論駁(ろんばく)している。
論駁=相手の論や説の誤りを論じて攻撃すること。反証する。
以上、田口孝雄著・天草島原一揆後を治めた代官 鈴木重成。参考

                次回はその3です。

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