そのときの人と物事と言葉との出逢い
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          その時の出逢いが その人の人生を 根底から変えることがある
           人間を根底から変えてゆくもの 人間を本当に動かしてゆくもの 
           それは人と人との出逢い そのときの出逢い
・・相田みつを
  コロナのため開催されなかった孫の所属するオーケストラ演奏会が2023年4月2日、3年ぶりに開かれた。
        その会場に向かう途中の大阪城公園の桜並木と演奏者入場前の写真です。


         ここは 孤独なところ 自分が 自分になる ところ・・・相田みつを
自営業をしていたときの土日・祭日の時間が空いたとき同業者の社長を訪ねると、いつも通りだが
3畳ほどの事務所の机の上に置いた16インチのテレビを見ておられた。
自宅は大阪駅近くの50坪程の立派な構えなのに休みの日は自転車で10分・徒歩で20分程の作業場に
来て一日を過ごされていた。
私が「社長の一番のお気に入りの場所は此処ですね」と話しかけると
社長は
「この事務所で独り過すのが至福のひとときや。経営者は孤独なもんやで。コーヒー飲むか?
あんたと喋っていたら楽しいわ」
と言ってコーヒーを入れてくれた。
私が
「孤独であり、しかも24時間勤務ですね」と言うと「ほんまや」と言って喜んでおられた。

「僕とお母さん、そしてパートの人が休みの日でもお父さんは仕事場に出かけ機械の整備をしていたなぁ。
 それを見ていたから僕も今の仕事が楽しい。自分から休もうとは思わない」
・・・次男の言葉
そう言えば私も休みの日になると普段より早く目が覚めて店に行き、機械の整備や何かしらの片付けを
していた。仕事人間というよりも自分ひとりの時間を楽しんでいたのだろう。

             隗(かい)より始めよ・・・郭隗(かくかい)
事を始めるには、自分からやりださなければならない。人に言いつける前に自分が積極的に着手せよ。
郭隗は中国の戦国時代の燕(えん)という国の政治家で「隗より始めよ」の「隗」にあたる人物です。

         「そのうち そのうち べんかいしながら日がくれる」
            「とにかく具体的に動いてごらん」・・・相田みつを
「だけど」は良いとして「だけど だけど」では人のせいにして前に進めないし、愚痴になるだけですね。

             「自分ばかりをほめたたえる人は愚かなり」
今、某国会議員が他の議員に対して自分がしてきた言動を問われるとつじつまの合わない答弁を
繰り返す姿がyoutubeに晒されている。
まぁ、この議員は自分に酔いしれているだけの人間なのだろう。(私も少しあるかな・・・)
僧侶たる者は自分の悟りとやらが、庶民の日々における悟りとどう違うのかを明確に話すことなく、
得意げに経典名や仏教用語をならび立てる者になってはいけない。
僧侶の机上の悟りなどは庶民の日々の実践から生じる悟りには遥かに及ばない。

私の悟りと言うよりも心がけたいことは
  「人さまに活かされ生きていることを分かれば自ずと感謝の心が培われる。
         
感謝・ありがとうございます。の言葉を保てることが私の一生の修行です」

   一つのことだけでなく、あらゆる物事に関して詳しいところまで知る人は滅多にいないものである。
        「いとしも、物のかたがた得たる人は難し。ただわが心のたてつる筋をとらへて、
                 人をばなきになすめなり」・・・紫式部
 

                 「大きな違いに気付きなさい」
A「頼まれるから、してやる」B「お頼みいただきありがとうございます。ありがたくさせていただきます」
A「あいつにでも声をかけるか」B「あの人に頼まなくては」
・・・AとBでは大きな違いですね。
僧侶たる者は檀家様のおかげで家族を養われることに感謝して赴くことを忘れてはいけない。
僧侶の資質がインターネットで問われていることを侮ってはいけない。
庶民に於いては「あの人に頼もう」と思われる人に成るか成らないかを心しなくてはならない。

                      
              「生者必滅・会者定離・現在有体過未無体」
人は必ず死ぬ。会えた人と別れるのは定めである。体を成すのは今だけである。
     だからこそ、過ぎたことは悔やまず先を憂いず今を切に生きる教えが仏教である。
  ”善因善果・悪因悪果”→お釈迦様・”死するとき ともするものは 業報(ごっぽう)のみ”→道元
仏教は死に至る心構えは説いても死後は説かない。仏教は死に対しては覚めた(冷たい)教えである。

                     
2023年4月7日
今日は5番目の孫の中学入学式。あいにくの雨だが「おめでとう」のラインを送った。
パソコンで中学一年は何歳?を検索すると
「中学1年生は、年度はじめの4月1日は全員12歳で、誕生日を迎えた人から13歳になります」とのこと。
と言うことは20歳になるのは7年後で私が84歳のときだ。
あと高校三年と中学2年、そして小学4年と2年の孫がいる。
すべての孫が20歳を迎えるのを見届けるのは12年後。
私は今年6月で喜寿(77歳)を迎えるので12年後は89歳。
元気でおれるかなぁ?孫の顔がわかるかなぁ?うーん
?マークだな。と思うより、
7人の孫たちが幼児期、少年、青年を経て社会人と成っていくのを見れることに感謝しょう。


             次回は その5 です