そのときの人と物事と言葉との出逢い
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               その時の出逢いが その人の人生を 根底から変えることがある
                人間を根底から変えてゆくもの 人間を本当に動かしてゆくもの 


    朝5時、歯を磨き顔を洗い定番の缶コーヒーを飲み、ゆでたまごを食べながら朝刊の「朝の詩」と
    「朝晴エッセー」を読み終わり、3階の自室でパソコン・スイッチオン。
    31インチディスプレーでスッペの軽騎兵序曲とロッシーニのセヴィリアの理髪師を楽しんで元気づけ。
              アドレスをコピーしてYouTubeに貼り付けて聴いてください。
           https://www.youtube.com/watch?v=qGhbdZTL94w  軽騎兵序曲
         https://www.youtube.com/watch?v=UwcI_tZOQDs  セヴィリアの理髪師


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創作は人類が手に入れた最高の快感と喜び。
  YouTubeのオーケストラ演奏を観るたびに作曲者が曲に合わせた情景を創作し、
  感情を余すことなく五線譜に記し、演奏者はそれを忠実に、そして楽しんで演奏している姿を
  観ていると引き込まれていく。

  音楽・文学・絵画などの芸術、物語りを独創的につくりだし、新しい物を作りをつくりだすことは
  人間にだけ与えられた神様からの贈り物です。


人生は何度でも上書きはできるが過去は消せぬ。

友達とか親近者が亡くなったときの悲しみの克服と自分が死んだ先にまだ何かあるという希望。

月は山より出でて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心より出でて我をかざる。
  ・・・重須殿女房御返事

悪友の笑顔より、善友の怒り顔。
  悪いことして一緒に笑う友より悪いことしたら怒ってくれる友の方が大事。
  善き友と出会うか、悪しき友と出会うか・それは人生の分岐点と言っても過言ではないでしょう。
   愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独(ヒトリ)で歩め。悪いことをするな。
   求めるところは少なくあれ。──林の中にいる象のように・・・ダンマパダ330句

  「学道の為にさはりと成るべき事をば重ねて是に近づくべからず。
   善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり」・・・道元・随聞記五−15


実践が伴っていない者の口だけの説法は無益な無意味な論「戯論(けろん」でしかない。

   聖語を多く語ろうと その実践無く怠る人は 他牛を数える牛飼いのよう 
               沙門の仲間に入ることなし
・・・片山一良「ダンマパダ・第19句
 「権実(ごんじつ)の教法(きょうほう)、顕密(けんみつ)の正教(しょうぎょう)を悟り得たりと伝(いう)も、
  身を執
(しゅう)するこころを離れずんば徒(いたず)らに他の宝を自ら数えて半銭の分(ぶん)なし」
   ・・・道元・随聞記四−3


「仏」は死人ではありません・・・仏とは悟りを得た人のことです。覚者(かくしゃ)といいます。
  「成仏」は死ぬことではありません・・・成仏とは悟りを得て仏になることです。 
  「涅槃」は天国ではありません・・・涅槃とは悟りを得て、一切の苦が消滅した境地のことです。
  そしてブッダは神様ではありません・・・福井県立大学長 進士 五十八


国民統制手段として・・・
 島原天草の乱の後、住民は地域の寺に所属させられた。
 キリスト教徒とされたら処刑されてしまう。そこで人々は各地域の寺に所属し、自分がキリスト教徒でない
 ことをお寺に証明してもらうことになりました。これが檀家になるということであり、所属するお寺は
 檀那寺(だんなでら)と呼ばれます。こうした体制を寺請制度や檀家制度と呼びます。
 ちなみにお寺は、行政の末端として戸籍の管理やキリシタンの監視などもしていた。
 したがって、檀那寺や菩提寺というのは宗教的な存在というだけでなく、お上の手先として住民に
 目を光らせる機関でした。
 よって、葬儀と仏教は無縁のものであるのに、寺院は企業と化し、僧侶は葬儀を生活手段として
 邁進しているのが日本仏教の姿です・・・ネットより。


ここ5年程の間に、島原・天草(2回)・平戸(2回)・生月島(2回)・長崎出島を訪ねて葬式仏教と
 揶揄されることになった経緯などを主体にしたB6判200ページの文章が出来上がりました。
   タイトルは島原天草の乱を機に「寺・僧侶が仏教を捨てた日」にしょうかな?と思っています。


芸は身を助ける
 先日、寸法直し店にズボンの裾上げを頼みに行った。
 受付のおばさんが「1000円になりますがいいですか?」と言ったので「いいですよ」と答えると、
 おばさんが裾を裏返して暫らく見たあと「こんな丁寧な仕立ては初めてです。素晴らしい仕立てです。
 そしてこんなことを言ってはなんですが一縫い一縫いほどいていかないといけないので3000円に
 なりますがいいですか」と言われたので「叔父さんが仕立てました。それでいいですよ」と答えた。
 翌日、受け取りに行くと「素晴らしい仕立てに触れさせていただいたので1500円でいいです」と、
 逆にお礼を言われた。

 身長150p程で体つきも頑丈ではなかった叔父さんに召集令状が届いたのは終戦間際だった。
 令状を見た叔父さんは「わしにまで召集が来るということは日本の負けが近いな」と言われたそうです。
 母と叔母さんが見送る中を貨車に乗せられ扉も閉められ、大阪駅から中国に向かったそうです。
 戦地に着いて数日後に日本は降伏し、叔父さんはシベリアへ捕虜として送られた。
 「9月に入ると夜には氷点下20度、丸太小屋の中で毛布一枚の雑魚寝。何度、自殺しょうと思ったことか。
 実際、伐採作業のときに隠し持ってきた枝で首を突いて死んだ兵隊も数多くいた。
 一年後のある日、捕虜たちが集められ、この中で紳士服と婦人服を仕立てられる者は手を挙げよ。
 と問われ、恐る恐る手を挙げると別室に連れて行かれ、消毒粉を振りかけられたあと頭から
 湯をかけられて芋を洗うように洗われてブカブカの服を着せられて将校の家に向かった。
 その日から、もう一人の婦人服仕立て職人と共に部屋を与えられ2年過ぎたあとに日本に送還された。
 婦人服の職人さんは守口の〇〇さんだよ」と叔父さんが言っていた。
 
母は「廣ちゃんが帰って来たときはコロコロに肥えていた」とよく言っていた。
 叔父さんは家庭を築き、テーラー店を立ち上げ、同業者の薦めで近畿の仕立てコンテストに出品。
 優秀につき東京でのコンテスト参加が決まったが「こつこつと地道に行くのが私に合っている」
 と言って参加を断った。
 仕立ての丁寧さは評判で他府県のお客さんも多く、私も何着か仕立ててもらった。
 50年近くになる夏・冬・合服それぞれのスーツ、ブレザー・礼服は型崩していない。
 以上、10年前に94歳で亡くなられた叔父さんの口癖「芸は身を助ける」でした。
 「天は自ら助くる者を助く」・「努力した者は その努力によって救われる」と同じでは?

即席僧の問題・・・
 某新聞の第一面で取り上げられていた「即席僧の問題」を読んだ友人が、
 僧侶とは、出家して仏教の戒律を守る修行者のことをさし、仏教は出世間(しゅっせけん)の教えであり、
 世間法に浸っているのに僧侶を名乗るのは
「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし・・・松尾芭蕉」であり、
 「孔子は似て非なる者を悪(にく)むと言っているよ。世の中、即席僧が溢れ返っているよ」と言った。
 友人のこの言葉は私には痛い言葉です。
*

頑張れ平戸海とDeNAの今永投手
  大相撲では平戸海を応援。今日の平戸海の粘り強さは素晴らしかった。
  生まれ故郷が平戸の私にとっては嬉しいの一言。
  プロ野球では阪神タイガースを応援しているが、DeNAの今永投手が中学一年の孫に似ているので
  今永投手を応援。タイガース対DeNAの試合で今永投手が投げるときは何か複雑。

  
そろそろ何かしなくちゃ・・・
  2年ほど前から毎月ありがたく頂いた年金の中からわずかですが夫婦で某NPO法人に
  寄付させていただいています。

  若いスタッフ達と子供達の交流の写真や報告書を観るたびに、孫と同じ年頃の食べ盛りの子供達の
  お役に立てばと思っています。先日は生前戒名のお礼金として頂いた全額を寄附させて頂きました。


「道徳って何?」・・・中学一年女子の問いかけ
 
 人には「していいこと」と「してはいけない」という二つの心(道)がある。
  その二つの心(ルール)を保ち続ける(徳)ことだよ。と答えました・・・これでいいかな?


己(おのれ)を律する・・・
  仏教の根本教義の一つは「己を律する」である。
  己を律することなく、神仏を頼みとしてはいけない。
  剣豪・宮本武蔵は吉岡一門の数十人と京都・一乗寺下り松で決闘に臨むにあたり、
  一乗寺の氏神様八大神社に立ち寄り必勝を祈願しょうとしたが、祈ることなくその場を立ち去った。
  そこには、剣術に向かうには神仏を頼らず律した心で臨めば必ず勝てるという
  
「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」の信念があったのです。

  
神仏に向かうときは「私はこのようにします」という誓いを立てて実践する。
  そして善き結果がでたときには神仏の御加護に感謝する。しかし、

  
頼るとき「神さま仏様」で、願いが叶わないときには「この世に神も仏もあるものか」の私です。
 
 「したらあかんことをしなかったら 神さんは良いプレゼントをしてくれはる」・・・妻の言葉

                        次回は その・7