大日如来

加行を満行し、伝法灌頂で阿闍梨の称号を授かった記念に彫刻した総高45pの大日如来です。
大日如来とは智慧の力で宇宙をあまねく照らす密教の中心尊で、太陽を司る毘盧舎那如来がさらに
進化した仏で魔訶毘盧舎那如来・遍照如来ともいい、大日経・金剛頂経に説かれる密教の体系の
中心となす尊格であり、密教においては始め無き終わり無き真理より来たれり者であり、
宇宙そのものを指します。
密教においては仏法そのものが大日如来であり、すべての命あるものは大日如来から
現出するとされ、釈迦如来も含めて全ての諸尊・諸仏は大日如来の化身と考えられています。
大日如来には金剛頂経に説かれる、悟りを得る為に必要な智慧を象徴し、
智拳印を結ぶ金剛界大日如来と、大日経にもとづいた無限の慈悲の広がりを象徴した
法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来の2つがあります
金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味し,
胎蔵とはすべての森羅万象が安住できる母親の母胎の様を意味しています。
この2つが揃って大日如来を本尊とする金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅に描かれる
密教世界観が出来上がるのです。
*密教・・・菩提樹の下で釈迦が開悟=ブッダと成られたあとの21日の間、
座してその楽しみを味わった。
そのときの釈迦と同じ精神状態を追体験しようとする考え方があり、これが「密教」です。
ブッダが宇宙の真理(法身・大日如来)の言葉として発したのが真言ではないだろうか。
と思いますが、もっと正確な説明ができる方がおられるでしょう。
余談・・・私の思う真言とは「日々の暮らしにおいて、自然に発する喜怒哀楽の言葉」では?
真言宗では四度加行を満行すると、伝法灌頂の儀式に於いて「阿闍梨」の称号を授かります。
加行の中で最後に行するのは「護摩行」です。
朝、4時からの行は辛くとも、やり遂げた満足感は伝法灌頂に赴いた僧侶に共通するものだと思う。
護摩行のとき、一度だけですが幻覚症状になっていたのでしょうか。
大日如来が現れ、吸い込まれそうになったときに小学校5年・6年の担任だった先生が
大声で「寝たらあかん」と言って背を押してくれた気がして我に返りました。
50歳を迎えた1996年ころから2年ごとに小学校のクラス会を開いています。
でも、ここ最近のクラス会は体調の具合で先生は欠席されております。
お会いできることを願っております。
2002年11月9日の伝法灌頂前日、お世話になった寺に泊めてもらった朝の4時ごろ、
風の音で目が覚め、そっと障子を開けると一面の雪景色。
6時に寺を出て式場に向かう途中、振り返ると新雪に下駄の足跡。
式場に着いてから先ず、薬草の入った風呂につかり、体を清めたあと食事。
食事が終わると、誘導僧の指導で白袴と式依をまとって着座。
そのあと読経を続けて伝法灌頂を待ちました。
いよいよ、順番が来ると伝達誘導僧に目隠しをされ、誘導僧の肩に手をかけてしばらく歩むと
樒を手渡され、「投華」だったか?の合図で樒を前方に投げ入れた。
そのあと目隠しを解かれ大曼荼羅を目にした感激で、壇の四方でそれぞれの陀羅尼を
唱えるとき胸が詰まってしまいました。
そのとき伝達誘導僧が小声でつぶやいてくれ、その助けがあり唱えあげることができました。
そして、大阿闍梨の前に歩み出て伝法灌頂の作法を受け、阿闍梨の称号を授かりました。
式が終ったあと、先ほどの僧侶が「感激されてましたね」と優しいことばをかけてくれた。
56歳にして伝法灌頂。あの感激は一生忘れません。

今年(平成31年1月4日から50日の間、午前又は午後の3時間を理趣経・観音経をそれぞれ一巻、
不動明王・慈救呪真言を1000回と20ほどの好のきな真言を唱え、次に不動明王略念誦法を
済ませ、そのあと覚鑁上人が遺された密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)を読み、
18pの線香に火をつけて燃え尽きるまでの40分ほど目を閉じて梵字「ア」を瞑想する
「阿字観」を楽しみ?ました。
次回は 母を想う です
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