仏式葬儀への問いかけ
        今回はネット・新聞・雑誌等を参考にしてUPしました。
参考にされるか・しないかは皆さんのご自由です。また、賛否もご自由です。
尚、このホームページで使ったものもあります。

「死とは葬式とは・・・しかし、そこに坊主が果たして必要か?
経を読むことで亡くなった人が成仏できるというこなどは仏教にそのような教えはない。
坊主が勝手に思い込み、屁理屈をくっつけて、それを庶民に思い込ませただけのこと。
庶民に責任の一端などありえない。
坊主が葬儀、供養をしなかった人は成仏できないとするならばとんでもない差別だ。
世界で最も無意味な葬儀は仏式葬儀。それを正当化すればするほど墓穴を掘る」

「死んだら輪廻転生するので、死体は物に過ぎないってはずなのに。
葬儀だ墓だと、死者ビジネスがメインになってるのが可笑しい。
日本の仏教は葬式仏教と言って、分業化した葬儀屋だから」

「特に日本仏教は釈迦が聞いたら破門にしそうな仏教だな。
死んでからも俗世のランクに縛られるシステム 。まあブッダさんに聞けば必要ないって
言われるだろうし、むしろ
「そういうのを否定するために一生懸命教えを説いていたんだぞ俺は」と激怒される。

「仏陀の説いた八万四千の言葉を集約されたのが仏教経典。その中に戒名などはありもしない。
仏陀は「見知らぬ世界や(死ぬという)経験したことのないことに答えられない。
答える答えないではない。それすら値しない。なのに坊主はそれを金銭と引き換えに説きまくる」

「坊主が祈祷し、経を唱え、御仏に祈り、哀願すると幼児虐待は減るのか?虐待された幼児は
死ななければ安らかになれないのか」

「祈祷も、御仏を祈るのも、御仏に哀願するのも、己を律する手段である。
 決して、他の人の為ではない。決して死後の安楽を願う手段ではない」

「遺族の心の整理のためにこそお葬式はあるべきなのではないでしょうか。
わたしはお坊さんにも、これをやってほしいと思います。
大事な人を亡くした時、遺族だけでは呆然として、とっさに整理がつかないものです。
そんなときに真の仏教の教えを説いてあげる。
つまり、忘れることが大事だよと説いてあげる。その意味でお葬式をやってほしいと思う」

般若心経は徹底して無執着を説く。
坊主がそれを読み上げて「来年は3回忌ですね」って。なんだよ坊主って。

「日本の仏教文化なんて最低だよ。欧米の教会は地域の金持ちから寄付を集め、
地域の貧しい人に分配したり、地域の学校に寄付したりと、地域貢献してる。
が、日本の寺は家族が死んで悲しんでるときに平気で葬式代に200から300万円も
請求してくる悪魔みたいな存在。
イギリスでは教会で葬式開いても20万円くらい。日本は軽く10倍はする」

「諸行無常。
生まれたら必ず死ぬ 形あるものは必ず壊れる。この世に永遠不滅は無い一番しっくりくるね 。
日本人もガチで信仰してるわけでもないのに、死んだら葬式しなきゃとか、
お盆には坊さん呼ばなきゃ、とか慣習や世間体でやってるってのはホント無意味だなぁと思う」

「葬式仏教言うけど実態はかなり儒教の影響強いで。位牌、焼香、弔辞、納棺や衣服。
これみんな儒教由来で仏教とは本来関係あらへん。 墓参りもそうやな。
昔は幽霊って言ったら白い着物と額の三角布やったけど、あれもまんま儒教やな」

「葬儀会社に仕切られているのにいまだに坊主が仕切るものであり、坊主が主役だと勘違いして
失笑されているのが現状。葬儀に於いての主役は遺族である。坊主ではない」

「原始宗教の概念では、「煩悩」を捨てる事に重きを置いていましたが、
後の考えでは、人間の欲や悩みなどの感情は捨て去る事が出来ず、又それらがあるからこそ
人は「菩提」(悟りの心)を求めようと、努力するのだよと、説いています。
しかし、坊主にその姿がみえない。
口にするのは年回忌。煩悩まみれの坊主から、煩悩即菩提は聞きたくない」

「49日のあとは法事に来ないと義兄が言った。
何故なら満中陰だから迷いの中有(思い遺してきたことなどに区切りがつき)が過ぎたので、
お義母さんは天国へ行った。そもそも仏教と関係のない年回忌は意味がない。
ふと、お義母さんを思い出したとき、それが供養だから。だから来ない」

「仏式葬儀って、亡くなった人を修行半ばの坊主・尼に仕立てて弔う儀式だということを
いい加減に気づけよ。それと年回忌って、死んでからの修行を確認するためのものだよ。
何なんだよ」

「諸行無常。生まれたら必ず死ぬ 形あるものは必ず壊れる。
この世に永遠不滅は無い 一番しっくりくるね」

「坊主の悟りって?何を悟ったの?庶民の日々の暮らしの中での悟りは坊主の比ではない」

「神もいなけりゃ悪魔もいない。最終的には自分で哲学して葛藤して、解決する。
道徳的で理論的な宗教それが仏教。それをむやみに改変してしまうのは勿体無いし
神の存在を否定している仏陀の意思にも反している」

「日本の仏教は仏教ではありません。日本の仏教は邪教です。真摯に仏教を学びたいのなら、
いつからか、各宗祖の教えから逸脱した日本の仏教とは絶縁しましょう」

「布施行とは、人として与えられた生涯を如何に人らしく生き抜くか。
そのことによって得られる、幸せ・良き人との出会い・別れを説き聞かせることである。
その時には、つまらぬ仏教用語を並び立てての自己陶酔の上から目線で接してはならない。
葬儀・死後の行事を正当化して布施と称しての金銭を受け取り、
それによって生計を立てることではない。その姿勢はすでに仏教徒ではない」

「現在の社寺の住民は宗教家などと言うものではない。
彼らはその建造物や宝物の番人にすぎない。
そんなやつらに無駄飯を食わせておくくらいあほらしいことはない。
観光と葬式を抜いたら仏教界に何が残るのか?と、自己啓発批判を打ち上げた仏教界の
長老もいた」・・・大乗と小乗の世界より。
  「仏壇を置き、お墓を建てるってどちらも要るの?その違いは?」と尋ねられたら
  「仏壇は御本尊をまつるところ。お墓は亡くなられた方を想いだすところで、そこには
  亡くなられた方の霊は存在しません。お墓に参り、亡くなられた方を想いだされたとき、
  それこそ千の風になってあなたを包み込んでくれます。
  宗教的な心を離れ、純粋な心でお参りしてください。
  そして、仏壇も墓も必要でないと思われる方も何ら問題はありません」と私は答えています。


                   次回は愛読書・1です

                               
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