メモ書きより・1
高野山での思い出は何と言っても高野山大学・在学中の山内での加行と、大学図書館での時間でした。
図書館での時間と言っても、仏教関係の雑誌を読むのが主でした。
そして、その中からの幾つかの文章と私が思いついた言葉。そしてネット他に掲載されていた文章を
記したメモ書きから、なるほどと思う文章と好きな言葉を綴ります。文章への賛否は勿論、ご自由です。
青字は私の文です。

朝、4時からの加行作法 作法のあと、9時から3時間の伽藍と奥の院参拝。
この写真はカナダの女性が撮ってくれました。 この写真は高野山HPより拝借

1階、地下1階には密教・仏教・国文・歴史など、大学での学問研究と深く結びついた専門書が
そろえられており、宗教学や国文学の研究者たちが、ここに保管された資料を求めて国内からは
もちろん海外からも訪れています・・・高野山大学HPより
宇宙空間を東京ドームとしたなら、私たちの住んでいる地球はドームに漂う芥子粒の
物体にしかすぎません。いや、もっと小さいかも。
そして、地球を「にわとりの卵」・「リンゴ」に例えてみれば、私たちが自然の恩恵を受け生存できる
範囲は卵の殻・リンゴの皮の厚みの中でしかありません。
その(薄っぺらな)厚みの中にある自然の恵みを破壊し、数えきれない動植物の命を食し、
まだ飽き足らず人間同士がいがみあい、ときには戦争による犠牲者を出して生きているのです。
何故、いがみあわなければいけないのでしょうか。私たち人間とは本当に難儀な動物ですね。
何故、いがみあうのか?それは他の動物よりも遥かに自己愛が強く、そして比較する知恵が
あるからではないでしょうか。自己愛を押し通そうとすれば、他の人の生き方、自由を害せずには
おれないのです。それが上手くいかなければ妬み・怨みが生じ、さらに自己を正当化しょうとする。
そこに生み出されるのが「苦」です。苦とはドゥフカというサンスクリット語を漢訳したもので、
「思い通りにならない」という意味です。
思い通りに生きることは出来ないという現実に目をそらすことなく、
自身で生きがいを見出し、良く生かされ、良く生きることを目指しなさいとブッダは教えています。
*一切は心より転ず
人生は諦めてはいけない。人生は自分の心がけ次第で変えることができる。だから人生は
素晴らしいというのがお釈迦さまの教えである。お寺に行きてお布施をあげればいいのではない。
*根本教義を避けてはいけない。それは仏教を捨てることになる。
根本教義を語る人を原理主義者というのは間違い。
*「海は生命の根源で、汎ゆる生物は海より生まれる」より。
海の波動=1分間に17半から18回
人間の呼吸=1分間に17半
呼吸の2倍=35・・・人の体温
体温の2倍=70・・・脈拍・心臓の動き
脈拍の2倍=140・・・血圧
血圧の2倍=280(40週)・・・胎児が胎内にいる期間
その100倍=28000日・・・76歳〜77歳
*インターネット「語源由来辞典」によると
77歳・喜寿は、「喜の字の祝い」「喜の字の齢(よわい)」ともいう。
「喜」の字を草書体で書くと、「十七」の上に「七」が付いたような文字で「七十七」に
見えることから、77歳を「喜寿」と呼ぶようになった。
喜寿の祝い方は、基本的に還暦と同じで、色は古希と同じく紫色の物。
私は、ラッキー7(セブン)が2つもある77歳まで生きられたら充分だと思う。
と言いながら、その歳がくれば「まだいけるで。あとはおまけやで」となるだろう。
その、ありがたいおまけの間にいわゆるボケ症状の進行を自覚できたなら、早いうちに
身の回りを整理し、大病を患ったときは医師に私の余命の通告をお願いして延命を選ばず、
あとは淡々と死を迎える心を整える。このことは家族にもつたえている。
医療の進歩による健康には感謝しても、スポーツジムに通い、過度に健康食品を買い求めてまでの
健康を選ぶよりも、自然の法則に従った有り難い命を満喫し、
みんなのおかげで活かし生かされたことに感謝して終わりたい。
次回はメモ書きより・2です。
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