仏教の祖・お釈迦さま (ブッダ)


          
 
 京都の展示会で出展されていた
 沙門像。

 

  その作品を参考にさせて
  いただき、彫刻しました。



 




  「歩く どこへ ブッダのもとへ」の気持ちを込めて「沙門像」を彫りました。全高70㎝・素材は楠。
  京都の作品展に出展したとき、一般の人・僧侶の何人かが手を合わせておられました。
  出展者のお一人が「先ほど、合掌しておられた方は曹洞宗の名刹といわれる○○寺のご住職だよ」と
  教えてくれました。ありがたいことです。

沙門は欲望を遍知して、つねに自由人なり・・・ブッダ
沙門とは当時のインドに於ける、宗教・思想に異を唱えた自由思想家です。
お釈迦さまも沙門の一人でした。

お釈迦さまは言われた。他人の態度を云々すべきではないし、そもそも批判するよりも先に
自分が正しく実践すればよいのです。


私には痛い言葉ですが少しでもこの言葉を胸に留めおき、陰でコソコソ言わずに寺を離れ
自分なりの言葉で自分なりの仏教観を綴っていきます。私への批判・批難も受け入れて。


「ブッダの歩まれた道は一言にして言えば、人生をありのままに正しく見徹す心を鍛える
 ことである。あたかも草むらに覆いかくされている下に、古い道を見つけ出すように、
 独りこの道に目覚め、ついに涅槃の城に到せられた」


ブッダは何を説いたか
欲や執着を燼滅させよ、とは説いてない。智慧によって欲や執着を制しなさい。
諸行無常・諸法無我という絶対真理を己自身で修得して、只・今を切に(一生懸命に)生きよ。
と説いている。


このHpではお釈迦さまのことをブッダ・釈尊・釈迦とも記していきます。
ブッダは、およそ2500年前のインド東北部(現在のインドとネパールの国境あたり)の
ヒマラヤ山麓にシャーキャー族という部族が居住していた。
釈迦とはこのシャーキャーを漢音読みし、釈迦という字が当てられたものです。
ブッダはその国王であるシュッドーダナと、妃マーヤの王子として生まれました。

生後ほどなくして母は亡くなり叔母のマハーパジャーパティーに養育されました。
ゴータマ・シッタルダと命名され、夏のための宮殿、雨期のための宮殿、冬のための宮殿を
与えられ、ヤショーダラという妃を迎えラーフラという一人息子をもうけました。
なにひとつとして不自由のない暮らしでしたが、幼いころからもの思いに深け入る感性の強い
お方だったと伝えられています。
それは母マーヤがブッダ誕生後まもなく(七日後という説がある)亡くなられたということも
あってのことでしょうか。

ブッダの生きられた当時、インドの人生観は苦であると受けとめた。
そしてこの苦は死をもって消滅するものではなく、繰り返し繰り返されると信じられていた。
これを*輪廻と言い、死によっての安息は認められないということです。

王子としての恵まれた生活を送りながらも(わたしも)やがて年老い、病にかかり、
そして避けることのできない死という苦しみを背負って生きていかなければならない。
来世も王子として生を受けても老・病・死を繰り返す。
この輪廻から解放されるための真理を求めるには、愛してくれた妃、一人息子、育てて
くれた叔母、敬愛する父、そして王子の身分も捨て去り出家者として歩み、真理に
目覚めたいと決心し、二十九歳のある早朝、愛馬カンタカに乗り侍者チャンナを
伴って城を出られた。
そして修行者の集団を目にしたとき、愛馬と侍者を城に帰し修行者の一人として集団の
中に入り六年に及ぶ壮絶な苦行を修されました。

しかし、当時の修行者が最も重視した苦行により真理を求める無意味さに気付き、
修行者の集団から離れ一求道者として歩むことを決意し、疲れ汚れた体を癒そうと
ナイランジャー河のほとりで沐浴の途中、あまりの疲労のため川岸に臥せられました。
そのときスジャータという村娘が通りかかり乳粥を差し出しました。
インドへ行ったとき、同行のガイドが「インドでは、菩提樹の下で瞑想に入っているブッタに
スジャータが乳粥を差し出したとされている」と言って、その壁画が描かれている寺院を
案内してくれた。

その施しにより体力を回復し菩提樹のもとで瞑想に入り、


「この世の一切(すべての現象や存在)は縁起により成り立ち(因縁生起)、
永遠のものなどなに一つなく生滅変化している。
諸行無常であり、我に帰する永遠の
ものなどは何ひとつとしてありえない。
自分の命も財産もすべて自分のもののようであって自分のものではない。
諸法無我である。
そして一人では生きていけない。
他の人とのご縁によって自らを活かし、生かされているのです。
これらを見徹すことができればすべての執着心から解き放され、繰り返される輪廻から
開放され、揺らぐことのない心安らかな境地である涅槃(ねはん)に至りことができる」
 
という厳然たる真理を悟り、ブッダ(仏陀)と成られたのです。
二十九歳で出家し、三十五歳・十二月八日の明け方だったと伝えられています。
(ブッダが悟ったのは縁起の理法であるというのが定説ではないでしょうか)


涅槃とは・・・
 ろうそくの火が音も無く消え去るように、あらゆる煩悩(思い煩う心)が吹き消されたことを
 言い、その境地を「悟り」としている。
悟りを開かれたブッダが入滅(亡くなるとき)されるとき、この境地であったことから入滅を
「涅槃に入られた」とも言う。


*輪廻から脱すること(解放)を解脱とされてますが、
「これは後世の説であって、ブッダの教え・目指すところは現世の苦しみから解放させるのが
 目的で、ブッダは欲や執着を燼滅させよ、とは説いてない。囚われるな。と説く
ネットより

ブッダの教えの最終目的は、日々繰り返す喜怒哀楽を自身でできる限り整え、今を切に過ごす。
そのことにより幸せになることです。
私たちが有り難い人として与えられた命の長さは一刹那
(いちせつな)に過ぎません。
この一刹那の瞬間をブッダの説かれた教えに基づき生ききるのが仏教徒です。
仏教オタクが論じたがる、こむつかしい悟りではなく、これが悟りというものです。
日々の暮らしにおける庶民の悟りは、坊主の比ではない。
・・・間違いでしょうか。


*私たちの存在する時間は宇宙の時間からすればきわめて短い時間。瞬間。
 それが一刹那です。例えられるのが、まばたきの時間。


 余談・・・ブッダの説く「愛」とは執着。

愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。
      愛する人に会わないのは苦しい。
また愛しない人に会うのも苦しい・・・ダンマパダ・210句

ブッダが故郷に帰られたとき、妻ヤショーダラは涙をためてブッダの体に抱きついた。
弟子は引き離そうとしたがブッダはそれを制し、彼女の思うがままにさせておいた。
夫として妻をいとおしむ心はブッダにある。つらい離別に耐えてきた妻です。

しかし「その愛に執着せず、溺れぬ愛」。それを弟子たちの前でみせられた。
「わたしには子どもがいる、財産があると思うが
ゆえに 愚かな人は 憂いをいだく 
しかし自分ですら すでに 自分のものではない
のに まして どうして 子どもが自分のもので
あろうか どうして財産が自分のもので
あり得ましょう」
・・・ダンマパダ・62句

この言葉はブッダが自分の経験からして、妻帯すると子ができる。
すると、必然的に他の人の子よりも我が子への愛=執着が強いものとなる。
この執着こそが「苦」と成り、囚われる。
ゆえに、出家者たる者は妻帯してはならないと戒められたのでは・・・

*坊主の世襲は己と我が子の保身であって「墓を守るため・檀家を守るため」は単なる
 言い訳に過ぎない。檀家は自分の物ではない。檀家のおかげで家族が生きながらえている


*もはや坊主は心の病を持つ人たちに応え、答えることはしない。
 ただ、生活の収入源として檀家と向き合うだけの存在者でしかない・・・以上ネットより


私は仏教は宗教というよりも、哲学では?と思っている。
ネットに分かりやすい文が掲載されていた

【宗教】は信仰です。教祖が現れて自分の考えを宣言し、信者がそれを信仰する。
「願う」「祈る」そして「信じる」「行動する=みんな(組織)でするもの」というものです。
目の前に“別の真理”が現れたとき、排他的になる。
何故なら、宗教とは所詮人間が創り出したものだから。

【哲学】は学問です。学問であるからには論理的に自分の考えを発表し、それに対して
他者が論理的に批判することが許されます。哲学は一級の科学なのです
哲学は、「疑う」「考える」そして「疑う」「考える」です。哲学=ひとりでするもの】

ブッダの教えは、自己を整え。また整えて、自身で生き方を求めていく教えです。

また、次の言葉も掲載されていた・・・
「私は、文句なくブッディスト。迷いなくパスポートにもそう書いている。
でも、神社もお参りしまっせ。
正確には、仏法を学習してブッダに少しでも近づきたいと願う者ということになるんだけどね。
本来、仏法はイスラムやキリスト教とは違い神など存在せず、スピリチュアル的なことも
否定してきた人生哲学なのだけど、日本には宗教として入ってきた。
私はブッダ(お釈迦様)の言葉に近づく度に、日本の葬式仏教には悲しくなるばかりだ」
                  ・・・そのとおりですね。

宗教とは所詮、人間が考え出したもの。
であるがゆえに、都合のいい解釈によって捏造・編纂され、ときには保身のために権力者に
すり寄り、それによって加護を受け、存在しうるもの。と思いますが・・・

ブッダは言われた
「わたしは導く者であり、あなたたちは自分の努力によって自ら解決する以外にはない」と・・・
 私たちは自分の努力によって自ら良き日を過ごす以外にはないのです。
 他人をどうこうしょうではなく、自分を変える・整える心がけを培うのが
 陀の教え=仏教(哲学)です。

「如来はただ道を教ゆるものなり」・・・中阿含経。
 私(ブッダ)は真理の保持者ではなく伝達者にすぎない。

*アノネ どんな車よりもね 構造が複雑で 運転がむずかしい車はね じぶんという名の
  この車なんだな そして 一生の運転手は じぶん
・・・相田みつお
 そうですね。運転手である自分を整え自ら解決する以外にはない。分かっちゃいるけど。ですね。

ブッダは開悟された後、見つけ出された真理(法)を自己中心的な偏見により、人々に無理やり
思い込ませるのではなく相手の能力や性格に応じて分かりやすく説く「対機説法」
または、相手の悩み(病)に応じて最も適した教え(薬)を説く「応病与薬」という話し方に
よって、人々に楽を与え(慈)、苦を抜く(悲)という「慈悲の心」を持って、四苦八苦である
人生を如何に生きるかを語りかける旅を続けられました。

四苦八苦・・・
人はを受けたならやがてい、大なり小なりのをへて、
すべての人が避けることのできないを迎えなくては いけない。
そして、その生を受けることでさえ、どのような境遇に生まれ落ちるかの選択はできません。

 生・老・病・死・この体の四つの苦しみと、
  どんなに愛する人であっても別れるときが必ず来る苦しみ愛別離苦(あいべつりく)。
  こころ寄せあえない嫌な人と出会う苦しみ怨憎会苦(おんぞうえく)。
  求めるものが得られない苦しみ求不得苦(ぐふとくく)。
  心身のもとめる、見る・聞く・味わう・触れるという思いが満たしきれない苦しみ
  五蘊盛苦(ごうんじょうく)。
の心の四つの苦しみを受け入れなくてはならない・・・
  この体の四つの苦しみと心の四つの苦しみを合わせて四苦八苦という。

五蘊とは・・・
  わたしたちの体=は眼・耳・鼻・舌により感じたものを受け入れる作用=と、
  受け入れたものを自覚する作用=と自覚したものごとに対して働く意思や心の作用=と、
  認識する作用=の五種の構成要素の集合体=蘊であるという意味です。

  五蘊盛苦とは、心身が盛んに活動して、刺激を求め続けているがそれを満たしきれない
   ゆえの苦しみを言い、身体があるが故の苦しみとも言えるのでは。

  先の四つの苦しみとあとの四つの苦しみに執着するゆえ、
  生きることは四苦八苦であると説かれた。四苦八苦の人生に眼をそらすことなく、
  自身で生きがいを見出し、良く生かされ、良く生きることを目指しなさいと教えています。
 苦とはドゥフカというサンスクリット語を漢訳したもので、思い通りにならないという意味です。

仏教徒の目指すところ・・・
   母と父の愛を縁として、有り・難い・人としての生をいただいたことに感謝し、自然の恩恵  
  に感謝し、いかなることも他の人のせいではなく自身の行為の結果であることを忘れず
  自身の責任で解決し、明日を憂いず過去を悔やまず、
 「良く活き、良く生かされ、良き人生を送る」ことを自覚し、実践する努力を心がけることです。
  そして、他を慈しむ心を育み、他を害してはいけない・・・と思いますが。
 
 一切の生命に対して無制限で無条件で慈しみの気持ちを育てなさい。
 そうすると、あなたの心の中から、心を狭く暗くする怒り、しっと、憎しみなどが消えて
 強い安定した 広大な心が生じるでしょう・・・ブッダ

 人の思いはいずこへも赴くことができる。されど、いずこへ赴こうとも、人はおのれより
 愛しいものを見出すことはできない。と言うことは他の人も同じ思いである。
 されば、おのれを愛しいと知るものは他の人を害してはならない・・・ブッダ

  ブッダの言葉で最も好きな言葉ですが、やはり私には分かっちゃいるけど・・・です。

ブッダは先ず、わたしたちが生きて行くうえにおいて生まれつき持ち合わせている我愛と
いうものを肯定し、自分自身がもっとも愛しいと思うのはあたりまえのことである。
と答えられた・・・そして続けて、「自分自身を愛しいと知るものは、他の人も同じ思いなのだ
ということを忘れてはいけない。
だから、他の人を害してはならぬ」と他の人への慈しみを諭されているのです。
この2つの言葉は正に菩薩道の極みである。この言葉を私たち仏教徒は忘れてはいけません。

ブッダは業論者である・・・
  仏教の説く業とは、身・口・意・つまり身体と言葉と心のそれぞれの過去の行い(業)が
  現在の苦を招く。
  自分にふりかかるすべての果報は自分の行為によって得るもので、自分の業によって
  善悪の果がある。悪因悪果・善因善果だというのが業論である。
 
仏教は因果の理を説く・・・
  仏教では私たち個々の行為に因果の理を説くものであって、善悪の因の果報は他人が
  身代わりとなって受けることはできません。
  新興宗教が口にする「教祖様が身代わりとなり、皆さんをお救い下さる」の言葉は
  邪道そのものです。

*すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、因は直接的、縁は間接的条件で
  因と縁から結果(因果)が生じることを 因縁生起という。
  転じて定められた運命・きっかけ・しかるべき理由・動機として使われる。

仏教は決して運命論ではない・・・
  ブッダは人生苦の原因を、人間が神に背いて罪を犯したその罪の罰だとは考えなかった。
  神という絶対者の存在は認めません。

 
仏教の救いとは・・・
  仏教では、救いは神のような超越的存在の力に頼るものでなはなく、
  個々の実践によるものと説く。
  すなわち、ブッダの実体験を最大の根拠に、現実社会で達成、確認できる形で教えが
  示され、それに従うことを呼びかける。あくまで呼びかけであり強制ではありません。

仏教は「死」に対して、冷ややかであり、覚めた教えだということを分かって下さい・・・
   何故、覚めた教えか?それは諸行無常という絶対真理を説くから。

 愛しい人・大切な人・恩ある人との別れを前にして、泣き崩れ、あるいは突然の別れに
 気も狂うばかりに嘆き、悲しまれる方たちの心の苦しみは言葉で表せないものがあります。
 そして追慕の念はあたりまえであり、ブッダはこれを否定しません。
 しかし、そのことに「執着してはいけない」と説かれた。

真言宗開祖の空海も、甥であり、愛弟子であった智泉が37歳の若さで亡くなったとき、
空海は枕もとで声を絞り出すように

哀しい哉 哀しい哉 哀れが中の哀れなり
   悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 また哀しい哉
   悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉


と言葉をかけ、その場を離れたあと一人して涙をぬぐった・・・
いかに高僧といえども、死をもっての別れは辛いものです。

また、和泉式部は一人っ児を亡くし、一時半狂乱のようになったがやがて立ち直り
「仮に来て 親に無常の世を知れと 教えて還る児は知識かな」と詠みました。

  この世の一切は移ろうもの(諸行無常)であり、生者必滅・会者定離である。
  仏教徒である僧侶はこのことを説き、いかにして現在(いま)を生きるかの教えを
  説き広めなくてはいけません。
  金銭の多少で死後の行事にかかわることは二の次、三の次。
  ところが、いつからか日本の僧侶はどうでしょう・・・言わずもがなでは?

「五蘊皆空」を理解しなさい・・・
  ブッダは言われた
  「あの、ふくいくたる香りを放つ蓮を見なさい。あの香りの根源はどこにあるのだろうか。
  花弁・めしべ・おしべ・茎・葉・根など、どれをとってもその一部分にあるのではない。
  これらを寄せ集め蓮としたとき、初めて香るものです」。

  私たち(人間)も五つの要素から構成されているだけである。
  五つの要素には実体が無く「空」であるがゆえに単独で成り立つことはできない。
  「五蘊皆空」であり、ある一時の集合体にしかすぎない。
  「五蘊皆空」を理解すれば、「私」というものに執着することはなくなるとブッダは
  説かれました。

「火は何処へ行ったのか」・・・
  「今まで燃えていた火は何処へいったのでしょうか」の問いかけにブッダは
  「火が消えたのは、ただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、
  火が何処か別の世界に赴いて行ったのではない」
と答えられました。
  私たちの死(肉体が滅ぶ)というのも同じことで、この世を去った私たちが
  「あの世という世界」に行ったという考えはブッダの教えにはありません。

仏教は「無霊魂」を説く・・・
  肉体を離れて、それ自体として存在するものはありえない。
  私たちを含むこの世の一切のものは無常無我であり、それ自体として存在するものはない。
  それゆえ、霊魂とか永遠的実在されるとする霊界は認めません。

「仏教が死を問題にするときは、生死の問題を主軸とする。これが正しい仏教。
これに対し、死そのものや死後の存在を実体として語る教えは外道か反する教え。
霊魂不滅という思想こそが無明煩悩の原因であるから、早くこの迷いから抜け出さなくては、
正しい人生観は確立できない。
しかし、形は仏教でありながら、内容は外道と変わらない教えが世にはびこっている。
つまり、輪廻転生をまるで死後の実体のように語り、あたかもこれを仏教の死生観のように語る
僧侶が目に付くのが嘆かわしい。仏教は生死を捨てて逃れようとするのではなく、ただ真実を
求める心を起こして生きることを勤めるものである」
・・・メモ書きより

仏教に「冥福を祈る」という思想はない・・・
仏教は「自身の努力をもって、できる限り執着を離れ、死に至るまでを人らしく生きるか」
の教えです。亡き人がさまよい行く世界(冥土)での福を祈るという教えはありません。
亡き人がさまようとするのなら、坊主に力がないだけのこと。引導責任感がないだけのこと。
冥界(冥土)は仏教の教えとは無関係な俗信であり、仏教徒ならば「冥福を祈る」という言葉を
差し控えた方がよいでしょう。。
 
ブッダの死者への言葉・・・
「かれら(死者)はもう わたしの力の及ばぬ者なのだ」スッタ・ニパータ。・・・
ブッダも父と義母の葬儀は執り行った。
それは死後の世界を思ってのことではない。肉親だからである。
純粋な心からであり、死後を問われなかった。年回忌のことなども、もちろん説かれなかった。
  
知りえぬ前世や死後の世界を問われても「無記=答えるに値しない」という態度をとられた。
「知りえない世界を問われても、わたしもあなたたちと同じほど知らない、
だから答える、答えないは何の価値も無い」と諭されたのだと思います。
仏教は死について語るが、死後(あの世)は語りません。見知らぬ前世は語りません。
前世や死後を議論することはしない。
「死後の世界は語っても分からないから語らない」のであって否定したのではない。
死後の世界はあってもなくても良いような生き方すればよい。これがブッダの説くところです。

ゆくすえに やどをそことも定めねば
 ふみまようべき みちもなきかな
一休宗純(一休さん)  
行く末としての宿(死後)を定めることはないんだよ。極楽へ行けるか、地獄に堕ちるとかを
先に定めてしまうと、そこへ行く道を迷い探し求めなくてはいけない。
そのようなことを思いわずらうのは愚かなことだ
ゆくすえ(宿)を定める前に、おごらず、あせらず、騙さず、妬まず生きなさい。
その結果として、生きているうちに地獄もあれば極楽もある。
成すべきこともせず、死後のゆくすえ(宿)だけを思い煩うのは儚いことだよ。と言っているのでは

「お釈迦様が生きていれば、お釈迦様の言った言葉と真逆の行為を繰り返している日本の腐った
  葬式を見て、卒倒するに違いない」・「坊主とは見てきたような噓をつく」
・・・ネット掲載文
              
キリストは言った・・・
「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは死人に任せておくがよい」。
「見知らぬ世界のことは、見知らぬ人達に任せておきなさい」
つまり「死者のことは 死者に任せよ」と言われた。

「過未無体。現在有体」・・・過去は悔やまず、先は憂いず。
これは、昨日も明日も無い、実体が有るのは現在(いま)だけであるという言葉です。
今日は昨日の行いの「結果」であり、明日への「原因」である。
だから、現在を人らしく生きることに専念しなさいというのがブッダの教え(仏教)です。

仏教とは命(生)を受け、それが尽きるまでの「良く生き、良く死ぬ」ことを説いている。
  それを叶えるためには「今(いま) 此処(ここ) 我(われ)を正しく生きなさい
 このことを実践すれば自ずと良き死が叶う。とブッダは教えています。
     誰も死にたくはありません。しかし、死を恐れない生き方を語りかけるのが
     ブッダ(陀)の教え仏教です。死後を仏にすがれとも説きません。

   ゆく水に数かくよりもはかなきは
  仏をたのむひとののちのよ
  一休宗純(一休さん)   
    
「神の子として生(命)をさずかり、神の子として神のみもとに迎えいれられる」・・・キリスト
  「無より、縁起によって生(命)を得て、縁起によって無にかえる」・・・私の思い。

    

誰も、生まれてくるときは環境を選べない。だからこそ「死ぬときは自由にさせて」のテーマで
YouTubeにUPされていたジョン・エヴァレット・ミレイの名作「 オフィーリア」と、
それをモチーフにした樹木希林さんの写真です。


 
もっと、私たちは尊厳死を問わなければいけない。命を受けるときは自分の意志ではない。
ならば、死ぬときは自分の意志で 間違いだろうか。死を考えたとき、自分の死はこうでありたい。
これも悟りで、これを否定してもいいのか?人生はエンドレスではない。いつか必ず人生を終える」

・・・ネットに掲載されていた文章です。

私は僧侶として尊厳死を尊重します。また、葬儀をどのように?と問われたら、僧侶が執り行う
「仏式葬儀」は遺族の感情に入り込み、習慣と世間体を重視した単なる儀式でしかありません。
しかも、金銭によってランク付けされる送り送られる儀式に拘ることはありません
と答えています。

       次回は どのようにして寺・僧侶と付き合っているかを綴っていきます

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