お帰りなさい


   私は常々、子供たちに後々までの仏壇や墓の面倒を押し付けたくないと思っていた。
   そこで、今年は先ず40年間お世話になっていた墓地の墓じまいをすることにしました。
   私は「墓じまい」ということではなく「お帰りなさい」との思いでの撤去です。


          

   2021年1月、阪急箕面駅で妹夫婦と待ち合わせ、妹の車に私と上の姉を乗せてもらって
   大阪北摂霊園に着き、姉と一緒に写真を撮ってもらったあと、お墓の掃除をすませた。
   4uの墓の撤去費は3社の見積もりを取り、32万・28万・14万でした。
   業者によっては20万近くの差があるのにはおどろきました。
   当然、14万の業者に依頼しましたが何の問題もなく、後日、霊園から「撤去確認が
   終わりましたので永代管理費5万5千円を還付します」
との連絡がありました。
   

       
 
   二週間後、霊園管理事務所で業者さんと待ち合わせて、手数料をお渡して
   遺骨を受け取り、45年間お世話になった霊園を後にして家に持ち帰る。
   大きい方には父と母の遺骨が入っている。
   小さい方は母の骨箱。その前に、匂い袋と新しく買った骨入れ(高さ6.5直径6p)


     

   私の作品の前に置いて写真。そのあと、匂い袋の香を取り出して遺骨を骨入れに
   納めて、仏壇の過去帳傍に安置しました。

   このことによって将来、子どもたちにも私たち夫婦の死後の対処の仕方を選んで
   もらえるだろう。
   誰かの家の片隅に小さな飾り台を買って、手元供養として置いてくれるもよし。
   散骨してくれてもよし。私たちを思い出してくれれば嬉しい。墓、仏壇は要らない。
   *本来、仏壇は御本尊を安置する処であって、過去帳・位牌・遺骨を置く処ではない。



毎年、二月と八月に姉妹の夫婦と私たち夫婦が集まり、仏壇に向かい「元気だよ」
声掛けしています。
仏前勤行が終わると同時に、お喋りが始まる。いつからか子供、孫のことよりも
自分たちの健康談話。
そのあと、近くの食事処でお喋り会。でも、昨年の八月はコロナの影響で大声は禁止。
この月、二月十四日は父と母の遺骨を安置した仏壇を見てもらったあとの
姉妹と妻のお喋り会は遺骨のことなどは全く話題無し。
暖かくなれば、母の遺骨を入れている匂い袋を懐に入れ、母が便箋に書いていた
思い出の地、谷町の小学校近くを歩いて廻ったあと、手元供養してあげたい。
父と母の残りの遺骨は木づちで共に粉末化にし、目分量で大さじ一杯ほどの遺骨を
水に溶ける水溶性の袋に納め、父の生まれ故郷の海に散骨します。
母も一年間、父の故郷に疎開していたので思い出もあるでしょう。
私はそのときに生まれました。

好きな日に、亡くなられた方の思い出の場所で、思うとおりの散骨ができる
「自分散骨」は、遺骨を
粉末化することが絶対条件となります。
個人で行う散骨は、このルールとマナーを守ることを忘れてはいけません。

但し、散骨に関する条例を設けて規制がある地方公共団体があります。
その主な地方公共団体は次のとおりです。
・北海道長沼町・北海道七飯町・北海道岩見沢市・長野県諏訪市・埼玉県本庄市
・静岡県御殿場市 

*散骨などを終えれば、大阪・四天王寺の納骨総祭塔(合祀墓)におさめます。

遺体を火葬する法令はありますが、散骨も含めての遺骨の処理にはありません。
但し、ネットなどで調べて常識を超える行為はことはダメですよ。
*火葬のあと、持ち帰る遺骨は最小限にすることをおすすめします。


*「諸行無常」
  世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。
  なので、庶民が仏式葬儀に疑問を生じ、それにこだわりを持たなくなり、
  思い思いの葬儀を執り行うようになるのは当たり前のこと。

*「諸法無我」
  世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在している。
  なので、庶民に「仏式葬儀にとらわれない」という意識が生じると、
  必要とされなくなる。

*寺・僧侶は「檀家さんはご主人様である」ことを忘れてはいけません。
 でなければ、「手帳に書き留めた文」の3に記した黒田如水の遺訓どおりになる。

 
          次回は 納骨に行ってきました です。

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