ブッダの説く「死」とは
仏教の祖・お釈迦さま(ブッダ)は2500年ほど前のインドで釈迦族の王子として
生まれた。
当時のインドでは、生きることは苦であると捉えられていた(今も尚?)。
王子である身でさえ、やがては老いさらばえて死に至るという真理に囚われるのではなく、
これに打ち克つにはどうすればいいかを求め、ブッダガヤの菩提樹のもとで一人、
瞑想に入り21日目に悟りを開いた。
悟りをひらいた=覚者と言う意味のブッダ=仏陀といわれるようになり、
その教えから仏教が成立した。
その教えは真理から逃れるのではなく、それを受け止め、それを活かし、常に前向きで
切に生き抜きなさい。
そうすることによって、苦に打ち克つことができるという哲学です。
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逝く者も遺される者も、愛しい人との別れは苦であります。
人々は、その「苦」から逃れたいという思いからこの世の他に別の生存世界を
思念するのです。
その結果、来世とかあの世とか天国とか、極楽浄土とか、父なる神の在す神の国とか
この世に於ける死を以て人の存在の消滅とは考えず死後世界なるものを
表象し創造して、その中で生き続けようと希求するのではないでしょうか?
しかし、ブッタの答えは覚めた、冷たいと言っても言い過ぎでない奥深いものである。
それを理解することに努め、深遠なる言葉に耳を傾けてみましょう。
「生まれたものは死を逃れる途がない。老いに達しては死ぬ。
実に生あるものどもはこの通りである。
熟した果実は早く落ちる。たとえば陶工の造った土の器が終いには全て破壊されて
しまうように、人々の命もまたその通りである。
若い人も壮年の人も愚者も賢者も全て死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。・・・スッタニパータ第3章575−578句
「夢の中で会った人は目が覚めたならば、もはや見ることができない。
それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや見ることができない。
何の誰それという名前で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば
唯名前が残って伝えられるだけである・・・スッタニパータ第4章807、808句
「もしも泣き悲しんで何らか利得を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。
泣き悲しんでは心の安らぎは得られない。ただ彼にはますます苦しみが生じ、
身体がやつれるだけである。自ら自己を害しながら身は痩せて醜くなる。
そうしたからとて、死んだ人はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。
人が悲しむのを止めないならばますます苦悩を受けることになる。
亡くなった人のことを嘆くならば悲しみに捕らわれてしまったのだ
・・・スッタニパータ第3章583−586句
ブッタは以上の真理を諦かに見据え、
「この世を無常と観てこの世の事柄は自分の命も含めて儚きものと観る。
という世界観及び人生観」
「世界は空なりと観ずること」の見方を抱き、自己の修行目標には「愛欲を離れること」
「何物も私有せず、執着(執著)せず、自我に固執しないこと」を掲げて励み努め、
「嘆き悲しむことの無益なことを覚って悲嘆を止めること」という理(ことわり)を
解(かい)したならば、死の克服あるいは死の受容を成し得る。と説かれた。
以上、ネット掲載文を参考にして綴りました。
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世間一般で行われている供養とは、お経をあげたり食べ物を供えることで、霊を慰めるが、
慰めたからといって、その霊のもつ苦しみが完全に無くなるわけではない。
また迷いが解けて、良い霊界に行けるというものでもない。
ただ、慰めてくれる人の気持ちが嬉しいという刹那的な喜びでしかなく、
真の救済とはならない・・・ネットより。
仏教は生(命)を受けて、それを「切に活かし生ききり」、それを納得して
こころ静かに「死を受け入れる」教えです。
敬虔なクリスチャン曽野綾子さんも「納得して死ぬという人間の努めについて」と
いう本の中で、「死ぬ」という務めと、それまでを「生きる」任務を書いておられます。
僧侶たる者はそれを説き、僧侶自身が体験したことのない「死後」を語ってはいけません。
僧侶は、常に移ろいでいる→今ある命は常でないという操れない諸行無常と
生者必滅・会者定離を葬儀の場ではなく、常に説き広めることを怠ってはいけません。
死んでから赴き、死後の世界は有るか否かという検証不可能な形而上学を
説いてはいけません。
次回は大乗の教えです
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