つれづれメモ・2
1日48`を歩く、とても簡単な修行。それを千回行えばいい。難しい条件があるとすれば、
よほどひまな人しかできない。ということでしょうか・・・大峰山千日回峰・大阿闍梨のことば。

驕ることのない、素晴らしいことばです。


私がわたしになるために人生の失敗も必要でした
無駄な苦心も骨折りも悲しみもすべて必要でした
私がわたしになれたのは みんなあなたのおかげです

楽しみに読まさせていただいている、某ご住職のHPより

永六輔さん「色即是空(しきそくぜくう)とは、ドーナツの穴=ないけどある。あるけどない」
ドーナツの穴は回りのパン生地部分から見れば存在するけれど、
そのパン生地部分を食ってしまえば見えなくなる。
    なるほど、上手い。

「死にとうはない」・・・一休さん    
でも、死は避けられない。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候
          是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ」・・・良寛さん 
でも、私はそのとき果たして良寛さんの言葉どおりに冷静に応えられるだろうか。
2022年6月9日で76歳。来年は喜寿。良寛さんの言葉にも一休さんの言葉にも冷静に応える心構えを
培っていかなくてはいけない歳になってきた。


何かしら、父・母を思い出しました・・・何故だろう。
「なつかしき 父のまた母の 膝はゆりかご いつの日も いつの日も 夢をさそうよ」
・・・故郷の灯台」の歌詞より。


出る杭は打たれる。出なければ腐る。果物は熟れると美味い。人は熟れると味がでる。


「山の行より里の行」
己の心を律し、己を見つめる。そのあと、里(庶民)に寄り添い、自身が悟ったことを自分の言葉で
人生訓を分かりやすく語りかけることを忘れてはいけません・・・このことが大乗仏教の真髄では?
日本仏教は小乗仏教ではありません。大乗仏教です。


安倍元首相が凶弾に倒れました。犯人は某団体(教団)に恨みを持っての犯行とのこと。
ネットに次の言葉が掲載されていました。
「信じる者は すくわれる。足元を」
先ずは主(あるじ)である自分を信じること。人や物を拝ませる宗教に惑わされてはいけません。
与えられた生き方を自ら考察し、答えを出してまた練り直すのではなく、
それを「信じるか、信じないか」を問われるのが「宗教」。


「先人の遺産をあたかも私有財産のように扱ってはいないか?」それでは何の進展もありません。
「寺物・寺宝って庶民の持ち物でもあるんだよ」うー
ん。あながち間違いではないだろう。
「珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず 意(こころ)に任せて放逸にして戒を持せず」・・・
密厳院発露懺悔文
(みつごんいんほつろさんげのもん)より。

人生は幸せな場所ではない。むしろ、理不尽なものである。それを簡単に解決する方法が一つある。
それは我慢することである・・・大峰山千日回峰・大阿闍梨のことば
幸せも不幸もいつまでも続くものではない。忍耐を培う心をもつことが仏の教えです。

「耐えることで感性が高まって、苦しんでいる人をサポートできる」
「疲れや寂しさを感じたときの心を元気にするヒント→「頑張る」から「選ぶ」の発想の転換を」

・・・妻のメモ書きより

自分の経験・自分の言葉で人生訓を布教せず、僧侶たちだけの狭い教義(狭義)に
溺れている今の寺・僧侶は「日本は大乗仏教」であることが理解できていないのでは?
また、妻帯肯定の僧侶と名乗る人たちに訊ねたい、あなたたちは出家者?僧侶って何?
ブッダ(お釈迦さま)が我が子に何故、ラーフラという名を付けたのでしょうか?

・・・今は三児の母親である、某国立大学で哲学を専攻していた女性の問いかけ。

時の流れとともに妻帯もあっても良い。
但し、我が子の前に他の子に慈しみを与えることを優先できるなら。である。

大乗からみれば,部派の目指す羅漢は限られた己の目標にすぎず、すべての仏教徒が目指すべき
理想は、菩薩すなわち己の悟りを開くのをおいても利他のために奉仕する姿である。
したがって、菩薩の徳である憐れみこそ、古来の仏教が強く説いてきた知の徳と同じものであるとする。

日本は大乗仏教です。その教えの目指すべき理想は自分の悟りを求めつつ、他の人々に慈しみを
もって利他のために奉仕することです。


他人を洗脳したいというのが宗教 あと金をむしり取りたい・・・で、あってはダメですね。

                   次回はそのBです

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