つれづれメモ3


 
 大阪・メイシアターに出展しました。


   『人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり』
    ・・・荘子


 無用だと思われているものこそ実は有用なのです。価値ある
 ものだけに心血を注ぐだけでは人としてのスケールも小さく、
 将来の大成も望めないのではないでしょうか。

 「木の芽がのびるのは やわらかいから
 かすかな風にも 竹がそよぐのは 竹がやわらかいから」
 ・・・相田みつを

 堅物な人と堅物な人がぶつかれば すぐこわれてしまう。
  どちらかが やわらければ大丈夫。
 でも、どちらもやわらかすぎると
  ・・・うぅーん。これはまたこれで。
 人との付き合いの難しさへの対処は「ほどほど」かな?
 
 やわらかい心には感受性がある。だから、小さな幸せでも
  ほどほどに感じられる。
 やわらかい心にはしなやかさがある。
  だから、ちょっとしたことは軽くほどほどに受け流せるのでは。
もう、20年前にはなるだろう。ある団体の役員をさせて頂いていた役員会旅行の宴会のとき、
お一人が「大乗仏教と小乗仏教の違いが分からない」と問いかけてこられました。
翌朝、その方が4人部屋の窓を開け輝く朝日を堪能していたが、同室の私も含め二日酔いの人が
「わっ、眩しい。カーテン閉めてくれ」と言われたので私は、
「他の人に、いい朝日を見ようか?と声掛けして賛同を得てからカーテンを開けて皆と楽しむのが
大乗仏教。そうではなく自分ひとりの満足だけで朝日を楽しむのが小乗仏教」と伝えると
「うん、何となくだけど大乗と小乗が掴めた」と笑ったあとに「一緒に朝風呂へ行こうか」と言われた。

先日、義兄の葬儀に立ち会った。母の葬儀のでは挨拶のときに少し言葉が詰まったが、
義兄の葬儀では読経が涙声になってしまった。
私は3人の姉妹の中の男ひとりだったので、義兄に甘えたり、反感を持つことが出来たことが
想いだされたのだろうか・・・
そして、某寺の住職が
「私の一人の幼馴染みが亡くなったとき、読経の声が出なかった。
彼は私が親戚の寺の坊主になることを嫌がったとき、親身になって説得してくれたことを
思い出して」
という言葉も・・・
葬儀のあと、姪が言ってくれた「おじちゃんはお坊さんの前に人間やってん。ありがとう」の
言葉に救われたというよりも、こちらから「ありがとう」の気持ちで一杯だった。

「所詮、私のやること」・・・相田みつを
そう、私ってこの程度。だけど人さまはもちろんのこと、家族にも迷惑をかけない一日を送ろう。
「これでいいということはないが これが今の私の精一杯の姿です」・・・相田みつを

 「おのづから 相いあうときも別れても ひとりは いつもひとりなり」・・・一遍上人     
*私の考えは自分一代で充分です。皆さんに理解されなくても・・・

半僧半俗。否、ほとんどが俗人で、少し仏教を知ったかぶっている程度の私で良い。
肩書などは不要の私で良い。いい人ぶらなくて良い・・・これが私の生き方。


「僧侶って、寺に籠り悟りを開いたんだろう?その悟りとは葬儀で生計を立て、観光化された
寺の番人で過すこと?木を燃やし、呪文を唱え先祖の霊や怨念を鎮めて金銭を受けること?
大乗仏教って、そうではないだろう?
それと、坊さんと俺の違いを教えてくれ」
・・・知人の問いかけ。
坊さんはつまらぬ狭義(教義)の言葉遊びで暮らし、庶民は生活の向上の知恵(悟り)を
求め暮らしている。間違いかな?
大乗仏教の一環としての庶民へのビハーラ活動に力を注いでいる寺は如何ほどあるのだろう?
金銭の授受によって、葬儀・法要と宗祖の回忌のときだけしか寺を解放するのは
ビハーラ活動とは言えない。

宗祖に始まり宗祖に終わる。
 法然を始めとする鎌倉仏教の開祖たちの思いも、弟子たちへの戒めも彼らの死をもって
薄れてしまう。そして、島原・天草の乱を機に権力者の国民統制手段として
「葬儀・死後の行事は寺・僧侶によって執り行うべし」の沙汰が下された。
そのことによって彼らは仏典に説かれていない葬送儀礼に邁進し「人が死ねば寺族が潤う」
という道を選んだ。

*「本質を追求しないのは日本人の特徴である。問題が起こったときに事の本質を
 徹底的に問いただそうとしない。和を乱すことになるからだ」
と言われた方がおられる。
仏教とは何か、各宗派の根本教義とは何か、仏教の本質とは何かを求めることもなく只、
世間体と形骸化されたと言っても過言でない仏式葬儀が仏教の本質であろうか?
私の知る限り仏教経典に葬送儀礼は説かれていません。


宗教とは所詮人間の創ったものであるが故に、後世の者たちによって歪められるのが宿命である。

孫の通っている小学校では、大地真央のCMでの「そこに愛はあるのか」が流行っているらしい。
 小1と小3の孫が喧嘩。負けた弟が両手で顔を抑えて床にうずくまり
「お兄ちゃん。愛がないんか」・・・そのシチュエーションで使うセンスには笑ってしまった。
そのあと弟が「お兄ちゃん遊ぼぉ」と言ってジャレあう。
大人にはそれが出来ない・・・


きょう8月11日は山の日。1971年に二人で富士山登頂を目指したのは此のころだった。
 当時、父の経営する店では第1と第3日曜日に休めるのが上出来であった。
父親から土日の特別休みをもらって大阪駅へ向かい、妻(当時婚約中)と列車、バスを
乗り継いで御殿場口五合目へ着いたのが夕方6時頃だっただろうか。
7時頃から歩いているうちに空いっぱいに輝く星空の下を歩き、八合目の山小屋に着いて
雑魚寝のバタンキュー。
2、3時間寝て日の出を見るつもりが山小屋の小窓からの眩しい日差しで起きたのは
6時を過ぎていた。山小屋のおじさんが「起きなさいよ。と声掛けしても二人は爆睡だった」とか。
そのあと山頂を目指し、火口淵に妻が持って来た「婚約誓い?」の木札を埋めた。
帰りは五合目発最終バスと列車を乗り継いで月曜朝方に大阪着。
そして、それぞれの仕事場へ。元気だったのは「若かった」の一言かな・・・二か月後に結婚。

37年前の1985年8月12日、羽田から大阪・伊丹空港へ向かうはずの機体は、
 離陸から12分後に操縦不能となり、約32分間ダッチロールを続けた後、
6時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。その間の恐怖心は如何許りであったか・・・
その日は母を含め家族6人と姪2人で伊丹空港から長崎大村空港を経て平戸に向かった日でした。
夕方、旅館に着いて入浴と食事を済ませ部屋に戻り、テレビのスイッチを入れるとニュースで
日航機墜落のニュース。家族団欒も吹っ飛んで見入ってしまった。
4日後、私たち夫婦は仕事があるのでひと足先に大阪へ。
6年生だった長男が旅館のスリッパを両手に持って道路に出て振ってくれた。
その長男も今年8月31日で51歳。

きょうは「お盆[盂蘭盆会・うらぼんえ]の入り日」
[盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を
 漢字で音写したもので、
転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。
お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。
目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、
「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが
出来るであろう」とお釈迦様がおっしゃられたので、目連尊者がお釈迦様の教えのとおりに
したところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです・・・ネットより。

「可笑しいよね。それって、坊主にお金を払って仏門に入る名(戒名)をもらって、
訳の解らぬ経を唱えてもらって極楽浄土へ送ってもらったんだろう?
では無くて『逆さ吊り』って、本当に日本仏教ってメチャクチャだね」
・・・友人の言葉。

仏教に囚われることなく、坊さんを呼ぶ、呼ばないは別として、
家族や一族が集まり、近況を報告しあったり、故人の思い出を語り合ったり、
又お墓参りで亡くなられた人に感謝の念を表す風習であると捉えるだけでいいでしょう


                   次回は
そのCです


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