仏教経典
経典にブッダ直筆のものはない・・・
仏教徒が「いかに生きるか」の指針を文書化されたのが経典です。
ブッダは35歳で悟りを開かれ、80歳で入滅されるまでの45年間に八万四千
(数多くという意)もの説法をされたと伝えられています。
そのブッダの説法を伝える方便(真理に導くため仮に設けた教え)として文章化されたものが
経典(スートラ)ですがブッダ自筆のものはありません。
当時、聖なる言葉は文字にしてはならない。文字で残すと水や火によって消されることがある。
文字は魂を奪うものなどとされていて、弟子たちの口伝により伝えられていました。
だから多くの経典は「わたしは このように聞きました=如是我聞」から始まるのです。
文字化されたのはブッダ入滅後、数百年してからだとされています。
*根本仏教から大乗仏教への変革
「仏教は発生地印度に於て、(一)根本仏教時代、(二)原始仏教時代、(三)部派仏教時代、
(四)大乗仏教勃興時代、(五)密教時代の五段階を経て、漸次改変せられ、歪曲せられ、
最後には仏教の名を冠せる魔教と化して、西暦十二世紀〔仏滅後千七百年〕を限界として、
印度本土より其姿を没しました。
根本仏教とは釈尊直説の真の仏教で、之れが正しく行はれたのは、釈尊が布教を開始せられてより
愛弟子アーナンダの死に至る八十五年間で、此問は釈尊の偉大なる感化力と直弟子等の堅固なる
信仰とに依つて、誤りなく伝持せられたが、アーナンダの晩年より乱れ始めた教法は、
彼の死と共に終末を告げたのでありました。
この八十五年間の教法こそ純正なる仏教で、世に之れを根本仏教と称し、釈尊の真の教を求めんと
する者に依つて殊の外尊ばれています。
アーナンダの死後約百八十年間を原始仏教時代と云い、次の二百六十余年間を部派仏教時代と
称していますが、此両期間を通じて (何れも西紀前) 釈尊の教法は著しく変質を来しました。
初期経典「阿含」(あごん)は釈尊死後ペトロの如き地位に在つたカツサパが、五百人の上座を召集して結集した正統的な根本経典でありましたが、之れに対し自由思想を有する革新派は、
故意に経典の文句を改作し、正義を抹消破却し、又仏説に仮托して仏説に非るものを挿入するなど、
いちじるしく異端的色彩を濃厚に致しました。
此事は史書「ジーバ、ヴァンサァ」に依って、次の如く伝えられています。
大衆部の比丘(当時の自由革新派の人々、比丘とは「びく」と読み、僧衆の意)は法を乱し、
第一結集 (前記カツサパ等の結集したもの) を排し、之れに代るに他を以てし、経典中、彼此顛倒錯置し、律並に五阿含(あごん)に於ける意義文宇を変更排棄す、彼等は一般の教説と特殊の教説とを
分たず、将た自然の意義と言外の意義とを弁ぜず、これを曲解し、語言微妙の意義を破り、甚深教典の部分を廃し、偽作以てこれを補えり、(五の三二~三九)
斯の如く、革新派は正統派結集の阿含原典の意義字句に対して、濫りに増減を施し、改廃を加えて、
自派の経典を作成し、遂に純正なる根本仏教を破壊し去ったのでありましたが、之れが後の大乗思想の濫觴 (はじまり) でありました」・・・ネットより
仏教が紀元前後、シルクロードを経て中国に伝わる中でそのころ興った大乗思想と、周辺民族の
風習や土着の信仰そして概存の道教・儒教の影響を受け、翻訳されるとき中国特有の民族性価値観
である意に沿わないものは受け入れないにより、古代インド語で書かれた原典の翻訳を間違え、
勝手な解釈により大きく塗り替え、歪められ、翻訳が終わると次々と処分し二度と原典を顧みて
間違いを認めることなく膨大な経典が創りあげられていきました。
経典の成立時期の文言がそのまま現代に伝わっているわけではない。何度も何度も写筆され、
古いものは失われ、言語の翻訳が繰り返され、翻訳した地域の特殊性と翻訳者の意図が加わる。
写筆や翻訳がなされるたびに誤りが繰り返され、永い永い歴史の中で、現代に伝えられた経典は
甚だこころもとないものと考えざるを得ない。
インド人が文字に頼り切らなかった理由も分かりそうな気がする・・・ネットより
釈尊の時代に文字による経典なんて存在しない。
釈尊が語っていたことを短文化して口伝で語ることはあっても、それは葬式のためではなく、
「生きる」ことに関するものである。
その後、中国で作成された漢文経典を僧侶は葬儀で唱えているが、
経典の内容はきちんとしたストーリーのあるドラマチックなものであり、
意味が分かれば、葬式の場では完全に場違いな内容である。
キリスト教式の葬式でシェークスピアの戯曲でも読み上げるようなものである・・・ネットより
釈尊は「教えは、それぞれの地域で語られる言葉で語りなさい」と言った。実際、アジア各地では、
自国の言葉に翻訳されたが、日本だけは漢訳のままで翻訳されなかった。
漢文の経典は音読みなので、人々はそれを聞いても意味がわからなかったが、
日本には「分からないこと」=「有難いこと」という変な思想があるので、実に誤解されやすく
騙しやすい。つまり本来の仏教に反している・・・ネットより
経典は、お釈迦様が生きた人に説かれた教えを書き残したもの。
内容を教えてもらわなければ意味がありません・・・ネットより
*大乗思想(大乗仏教)・・・
当初、ブッダの教えは出家修行者個人の救済だけでしたが紀元前後になると出家者(世俗から離れた人)だけが救われるのではなく、自らも修行に努め、自分のことはさておき、慈悲の心を持ち、
より多くの人達を救い上げることを目標とすることがブッダの教えであるという考えが起りました。
この思想は大衆を救うという考えを大きな乗り物にたとえ「大乗」と称しました。
また菩薩の救いだとする考えから「菩薩乗」とも呼ばれます。それまでの出家者だけが
救われるという考えは小さな乗り物であると侮蔑し「小乗」と呼ぶようになりました。
この呼称は大乗信仰者が付けたものであり現在は「上座部仏教」と呼ばれようになってきました。
大乗思想を掲げる人達は当時のインド一般社会に浸透していたヒンズー経の影響を少なからず
受けており、中国に渡った仏教はこれを大きく受け継いで中国産大乗仏教として変質しました。
このときに阿弥陀仏や観音(観世音菩薩)・地蔵菩薩や不動明王などのヒンズー経に説かれている
諸菩薩が戯曲、小説化され書き込まれ、ブッダが否定された空想的、神格的な偶像を敬うことを
無秩序に、しかも勝手に創作し、中国人に受け入れられるよう儒教的見地により漢文で編纂された
小説・戯曲・物語と言えるのが大乗経典で、日本仏教はこの中国で漢文化された大乗経典を
柱としています。
菩薩とは梵名ボーディ・サットヴァ(菩提薩埵) を音写したもので菩提(悟り)を志し、
救済を心がける求道者(薩埵)のことです。
ブッダとなられる前のお釈迦さまも一人の菩薩でした。
仏像の中で菩薩と名のつくものは冠とか胸飾りなどの装飾を身に着けています。
これはブッダが王子であったころの姿を現しているとされています。
この中国産経典(漢文経典)はブッダ=釈尊入滅後500年から1000年経って、
中国人の感覚で編纂されたものですから偽りの経典、「偽経」と評されます。
*日本に伝わった経典は偽経か・・・
「偽経」とはインド以外で作成された経典を偽経と位置付ける主張がありますが、ブッダ直筆の
経典が存在しないので、漢文で表記されたものも含め全て偽経と言わざるを得ないと思います。
私は「偽経」云々よりも、漢文化された経典は「中国産経典」、そして説かれている教えは
「中国産仏教」と捉え、中国仏教をさらに俗化したのが現在の「日本仏教」と捉えています。
日本の仏教はブッダの死後五~六百年経って成立した「大乗仏教」しか伝えられなかった。
ということは日本人の知っている、または信じている仏教はブッダの教えではない。
しかし日本人はそれらをブッダの教えとして教わり信じてきた。
近代、ブッダの教えに最も近いとされる教え(言葉)が解明されてきて、日本人がそれらをブッダの教えとして教わり信じてきたその教え(言葉)は本来の仏教に非ずという大乗仏教非仏説とするのが本流となっている。
「大乗経典は全て、釈迦の言葉ではなく、後世の人間が書き上げた創作経典(いわゆる偽典)です。
つまり、そこに書かれている如来や仏たちは空想の(戯曲文学的な)産物にすぎない」・ネットより
*大乗仏教非仏説・・・「大乗仏教」は仏教に非ず。
日本で最初にこの事実に気づいた人は、富永仲基(1715~46)という学者であった。
私はそう思う。彼は「出定後語(しゅつじょうこうご)」という本を江戸後期の1745年に刊行。
その中で
「経説、多くは仏滅後五百才の人の作れる所」とし、全部の大乗仏教は、
それぞれが前説を批判しては自説の優越を次々と主張しつつ成立したことが明らかである」と。
この説にいくつかの訂正する箇所があったとしても、現在のように情報が溢れることもない時代に
独学で「大乗非仏説」を唱え、、
「われ、儒の子にあらず、道の子にあらず、また仏の子にあらず」と、特定の教えに立脚する
ことを拒み、徹底した思想の相対化を図った」と、書き記したことに敬服すると同時に、
彼の墓の建立を拒否したという坊主たちの、愚かな行為を哀れに思う。
しかし、重箱の角をつつくように訂正箇所を見つけ、さも物知りのような言いぐさで批判する僧侶が
居ると聞きましたが、哀れなオッサンだね。ただのオタクだね。
ちなみに、「大乗非仏説」を「大乗非釈迦仏説」と言い改め、それが現在の主流となっている。
*どの経典をよりどころにするかで宗派が出来ていった・・・
無秩序に、しかも勝手に創作された膨大な経典から自分たちの求める理念、理想を述べているかを
選び、それを聖典とすることで中国に於いて多くの宗派ができました。
*日本仏教はお釈迦様の教えを説くというよりも、各宗派の宗祖を崇拝する「宗派・宗祖教」
であり、その弟子たちは宗祖の意にそぐわない葬儀・死後の行事を職としている。
と言ってもいいでしょう。
「坊主の特徴は、言うことは大乗。していることは小乗」・・・ネット
*「経典など、ただの紙くずだ」。白隠禅師(臨済宗中興の祖)の言葉・・・
「経。「如是我聞、一時仏在」。咄。誰か舒巻(じょけん)す。
多くは古紙の堆中に黄巻赤軸を求む。又、百合の一片」・・・
訳すと「経典は「是(かく)の如く我聞けり、あるとき仏陀は・・・」で始まるけれど、ちっ。
誰が広げたり巻いたりするのだ。どれもこれも紙くずにすぎん。
そんなごみのかたまりを立派な経典とばかりに追い求めることは、百合根を剥いても、剥いても、
なにも出てこんぞ。それといっしょだ」となります・・・大法輪・第72巻・第3号
*ブッダは、母・父への感謝は説かれたが、「読経によってそれが成される」とは説かない。
私は仏教オタク的な人が好む仏教書よりも、私の50歳の誕生プレゼントとして娘が贈ってくれた
「相田みつお作品集」そして高瀬広居・著「法句経(ダンマパダ)からのメッセージ」を
愛読しています。「ダンマ パダ」は日常生活での、生き方・活かし方を説いたブッダの言葉です。
「相田みつお作品集」の著者は曹洞宗高福寺の武井哲応師と出会い、在家で禅を学ぶ中で独特の味のある言葉・書風で仏教経典よりも仏教らしく、しかも分かりやすい言葉集を綴っておられます。
その言葉集は多くの人たちの心に「ハッと気づかせ、フムフムとうなずける」ものであり、
禅の教えるところを余すところなく書き記したものではないでしょうか。
次回は 日本仏教・各宗祖の言葉ですについてです。
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