気づく大切さ
      

           コンコース ウィンドー アーカイブ - 阪急百貨店 (hankyu-dept.co.jp)
2022年12月1日、どんよりとした冬空を見上げ梅田のヨドバシへ向かう。
地下鉄を下りて少し歩くと阪急梅田本店コンコースのシーズンごとにアーカイブされる
ウィンドウディスプレイを見ることができ、多くの人が写真を撮って楽しんでいた。
3・4歳の子供もディスプレイの動きに合わせ体を動かし手を振っていた。
クリスマスが終わると正月のウインドウディスプレイに変わり、1年が終わる。
今ある私は人さまのおかげであることに気づき、感謝の心を保ち、人生の終着駅への緩やかな道を歩んで
行ける1年を迎えることが出来ることを願つて暫し
ウインドウディスプレイに見入っていた。

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「己を顧みて己を知れ。たとい学問広くしていかほど物を知りたりとも、
己を知らずば、物知りたるにあらず」
学識が広くたくさんのことを知ったとしても、常に自分自身を省み本当の意味での自分に気づかなければ、
本当の識者とは言えない・・・鈴木正三

仏教は人として生きることを勉強するのであって、学問ではない。
*勉強とは「努力をして困難に立ち向かい、熱心に物事を行ない、励むこと」を言う。
一般に学問と言われている知識や分別や常識は、本来の自分、真の自由な心の働きを妨げるものとして
仏教では嫌われているものです。一番大切なのは、先ず自分を省みることに気づくことです。

「無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ=灯)なり、智眼(ちげん)くらしとかなしむな」親鸞。
自己の無力を強く気づくことは、決して絶望を意味するものではありません。
それを機に新たな自分への活力となるのです。

「今はわれ、まことに家を出てこむ 何故そめし 衣とかしる」・・・慈円
これからのち、私は真の出家者となっていこう。初めは意味もわからずにまとった僧衣であったが、
遂に今その意味を悟る(気づく)ことができた・・・名僧百言より


「頭を剃って欲を剃らず、衣を染めて心を染めず」・・・空海

「仏教自体が滅びかかってる。ゴムをずっと伸ばしたら伸びる。しかし、伸ばしすぎたらもう戻らへん。
お坊さんが、堕落すんのはかまへん。
しかし、堕落して、堕落して、堕落して、堕落して、堕落していって伸びきったらもう戻らへん。
戻れるうちに気づけやぁ」・・・三木随法


庶民が気づく前に襟を正し、僧侶自らが僧侶とは如何なる者か、如何なる目的で僧侶に成ったのか。
その目的が葬儀・祈祷を職とするためなのか、寺という建造物の維持や庭の手入れの為なのか、
庶民の布施と称する金銭にすがり家族を養うためなのか、
普く人々を救うという大乗仏教には感心を示さず、寺に籠り修行とやらで日を過ごし、
自己満足のためなのか。
僧侶であるからには仏教の本質とは如何なるものかに気づかなければならない。
この意見を原理主義者と評するならば、今の僧侶とは箍のゆるんだ存在者でしかなく、
庶民に見捨てられるだけではないだろうか?

「でも、浄土真宗でも葬式やるし仏壇あるし、なんやねんあれって」・・・ネットより
宗祖・親鸞の説く「臨終即往生」に気づかない真宗僧侶への忠告ですね。

「空」を説き「無執着」を説く存在者である僧侶全てが仏式葬儀の矛盾に気づき、
遺族の感情に付けこむことを捨て、
忘れなさいと説くのが本来の僧侶の姿ではないのだろうか。
これを言うと原理主義者と評されるんだなぁ・・・

庶民と僧侶の違いを明確に答えられる僧侶っていてる?
 行住坐臥(四六時中)俗世界から離れた精神を保っている僧侶っていてる?
 坊主って、人の目につく時・所では坊主を演じているだけで、それ以外は俗人その者だね。
本当だね。葬式と観光寺と祈祷でしか坊主を目にしないね。
庶民と僧侶の悟りのどこが違うの?当りまえのことに気づいただけでしょ?
寺の固定資産税免除の原資は庶民の血税だということに気づいている寺なんて在るの?
寺の建造物・庭の管理のほとんどは庶民の手に任せられているよね。
固定資産税免除は寺族の生活費を守るためではないんだよ。
大乗仏教の根本教義「利他行」に気づいたならば、自ら進んで納税して少しでも庶民の
 税負担
を軽減しなくてはいけないと気づくよね。そのような坊主の声を聞いたことがない。
 だから自分たちは庶民の寄進を躊躇なく受けとれる特別な人間と思っているんだね。

 ・・・お話会のメモより


「本当に今の坊主は宗祖の遺された金言は机上の論だけで、実際の行動は俗人よりも
 俗人だね。僕は君が葬式で生計を立てる坊主に成っていたら君を捨てていたよ」
   ・・・友人の言葉

       
「名を比丘
(びく)に仮(か)って伽藍(がらん)を穢(けが)し 形を沙門(しゃもん)に比して信施を受く」
 
・・・密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)
僧侶の名を借りて寺院を私有化し、僧侶の格好をしてお布施を受け、金銭の多寡で貢献度をはかる。

 

損か得かは人間のものさし 嘘か誠かは仏のものさし・・・相田みつを


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