ブッダは僧侶に告げられた。「葬儀にかかわるな」と
八十歳になられたブッダはパーヴァーという村に着かれました。村人である鍛冶職人のチュンダが
ブッダの来訪を喜んで食事を差し出したいと願い出ました。ブッダはありがたくいただくことを
受け入れられました。
この食べ物は豚肉ともキノコともいわれますが、食後に激しい痛みを弟子たちに告げられ
床に臥せられました。これに驚き嘆き悲しむチュンダを見たブッダは
「わたしの生涯において、最上の食事が二つあった。それはスジャータが与えてくれた乳粥と、
そなたが施してくれた功徳に満ちたこの食事です」と優しい心遣いをしめされた。
その後、激しい下痢に苦しみながら、やがてクシナガラに到着しましたが、ブッダは自身の最後が
来たことを知り、弟子アーナンダに「そこの2本のサーラ樹(沙羅双樹)の下に、頭を北に向けて
最後の床を用意しなさい」と告げ、ゆっくりと横になられました。
それを見たアーナンダはブッダが亡くなられるのは避けられないと感じ、悲しみ、嘆きました。
ブッダはアーナンダに向かい「やめなさい。アーナンダよ。悲しんではいけない。嘆いてはいけない。
わたしは、あらかじめこのように説いたではないか。
すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるにいたるということを。およそ生じ、存在し、
つくられ、破壊されるべきであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてあり得ようか。
そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。おまえは、長いあいだ、慈愛ある、ためをはかる、
安楽な、統一なる、無量の、身と、ことばと、こころとの行為によって、わたしに仕えてくれた。
おまえはよいことをしてくれた。あとは、ただただ修行につとめてほしい。
そうすれば、すみやかに汚れのない者となるでしょう」と諭された。
それを聞き終わったアーナンダは、涙ながらに
「ブッダ=修行完成者のご遺体に対して、私たちはどのように処理したらよいのでしょうか?」
と問いかけた。それに応え静かなそしてしっかりとした声でブッダは次のように言われました。
「私を敬うのではなく、この世をダルマ(法)によって統治しうる、転輪王(ダルマ)を敬う処理を
阿羅漢果を得た者が成しなさい。
阿羅漢果を得ていないおまえたち(僧侶)は 修行完成者の葬儀にかかわってはなりません。
この世の一切は移ろうものである おまえたちは ただただ真理を求め 怠ることなく
どうか おまえたちは修行(輪廻からの解脱)に励んでほしい」・・・大般涅槃経
ここで記さなくてはいけないのはアーナンダは阿羅漢果をまだ得ていなかった状況から、
修行途中の弟子に対しての戒めであり、この言葉は重要な言葉です。
「 阿羅漢」とは原始仏教・部派仏教において修行者の到達し得る最高位であり、
学道を完成してこれ以上に学ぶ必要がない無学位(むがくい)の境地に至った者をいう。
「果」とは悟りの位。
さて「葬式仏教」という言葉は、1963年(昭和38年)に出版された日本史学者の
圭室諦成(たまむろ-たいじょう)の著書『葬式仏教』がきっかけとなったといわれている。
圭室諦成氏は「ブッダの言葉は修行途中の弟子に対しての戒めであり、葬儀儀礼そのものに
出家者がかかわることを禁じたものとは言い難い」と述べておられるが、
「出家者」とは家庭生活を離れて仏門に入り、専一に阿羅漢への修行の道に励む人」 を
指すのであって、あくまでも修行僧です。
それを踏まえて、「私は出家者です」と言える僧侶が日本に如何ほどいるだろう?
僧侶を職業として、また自由に寺を継ぐことが可能化している。
これらのどこが出家者でしょう? また、世間のいうところの「葬式仏教・葬式坊主」とは、
「死」を商品化しジネス的に法衣をまとったときだけの一見僧侶風なる者がそれによって
家族を養う姿への言葉ではないだろうか。
既にブッダはこうなるであろうことを見通され「僧侶が葬儀にかかわるでない」と
戒められたのではないだろうか。
また、ブッダの弟子である日本各宗派開祖の誰が「僧侶は葬儀を職と成せ」と言い遺されたか。
大般涅槃経はブッダの最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について
叙述する経典であり、ブッダが、自分の死後は
「法を依(よ)りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)といったこと、
また「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」と諭したことなどが
重要であり、葬儀のことは後々に書き加えられたものであろう」・・・ネット
とあるが、私も同感で「自灯明・法灯明」と「汝等は怠らず努めなさい」と諭した部分までが
原文であり、それ以後の言葉は後世に編纂されたと思う。
何故ならブッダは自分を神格化せよとは言っていない。
言ったとすれば、その時点でブッダの説いた教え=仏教はもはや仏教ではない。
もはや「仏教ではない仏教」が現在の日本仏教である。
このようなことを言えば、原理主義者という人たちがいるだろう。
ブッダの教えには、宗教特有の神がかりや狂信性や熱狂や、陶酔や、排斥性や、独善性やカルトや、
異端攻撃はなく、あくまでも清澄なる修行による悟りと澄み切った涅槃寂静があるばかりなのです。
修行によって冷静に苦の人生からの脱却を説いている釈迦仏教に魅かれ、また出家者・在家共に
他を慈しみ生きる喜びを求め歩む=菩薩道を説く大乗仏教も素晴らしいと思っておりますが、
菩薩道を説き、それに従って歩んで行く「大乗仏教」は私にとっては「言うは易し、行うは難し」です。
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経典は編纂される・・・渡辺照宏著「仏教」の201~202P。
「生涯のあいだ、悪しきことをしてきた人は、重い石が池の底に沈んでいくように地獄へ落ち込むのは当然である。悪しきことをせず、善き行いをしてきた人はバターや油を入れた容器は沈んでも、バターや油そのものは水面に浮かび上がるように自ずと天上界に生まれかわる。
いくら大勢の人が集まりガヤガヤわめいても、沈むものは沈む。浮かぶものは浮かぶ。
それは皆、自身の行為の結果であり、他の者はどうすることもできない」
*パーリー語「相応部」四・三一二。「中阿含経」巻三(大正蔵一・四四〇上中)が記されたあとに
「小石を水の表面に置けば沈んで行くが、大きな石でも船に乗せれば浮いていることができる。
それと同じように、仏教を知らない者は死後、地獄に落ちるが、たとい悪事をした者でも、
ひとたび仏陀を念ずれば[一時念仏]、地獄に落ちることなく、天上界に生まれる」
*漢訳(大正蔵三二・七〇一下、七一七中)と記されている。
前者は小乗仏教的の語句で、地獄へ落ちるのも天国へ行けるのも全て自身が成した行為の
結果によるもので、他の人はどうすることもできない。と説き、
後者は大乗仏教的の語句で、悪人であったとしても救ってあげようと説いている。
このように年代がちがうと経典が編纂され、原文と全くと言っていいほどの違った解釈で作成される。
*ブッダが入滅後してからおよそ200年後(紀元前二世紀頃)第三回目の結集)が行われました。
この時はじめて経・律・論の三蔵の原型が出来上がったとされているが、
それは依然として口伝口誦によるものでした。
そして、経典が中国で漢文化されたのは紀元前一世紀から紀元前後ではないかと思います。
であれば、中国から日本へ伝わった経典は、ブッダが入滅されてから幾度ともなく
編纂(歪曲)されたものである。と言ってもいいのでは?
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律には、出家修行者は人々に頼まれたら葬祭に関わっても良いけど、「お金を受け取ってはならない」
と記述されていますね。・・・ネット掲載文より
「いかなることにもあくせくするな 他人の従者となるな
他人に存在して生活するな 法による商人として暮らすな」
=中村元著「ブッダ・感興のことば 13章ー7」
次回はバラモンです。
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