おかげさん・2
昨日・元日の午後4時過ぎ、Youtubeを楽しんでいると何か船酔いのような気分になって
外を見ると電線が揺れ、室内のカレンダーと八十八ケ所巡りの掛け軸も揺れている。
これは長振動の大きな地震発生だと思い一階台所へ降りると妻は6人掛けテーブルの下に
うずくまっていた。
一安心のあと自室に戻り仏像が倒れないように絨毯の上に置き換えたが幸いそのあとは
大事にならなかったのでもとへ戻した。
それから姉にラインを送ると姉も台所のテーブルの下に潜り込んだとのこと。
姉は一昨年から独り暮らしとなっているので孫たちがラインで安否を気遣ってくれたのを
喜んでいた。姉の部屋には亡くなった義兄の袖に姉の袖を絡めた季節の服が掛けてある。
姉夫婦は今も仲の良い夫婦です・・・姉夫婦を語る

*1月2日午後6時頃、ニュースを見ていると羽田空港で旅客機が炎上しているとの速報が
流れ、その画面が映しだされた。
見ているうちに旅客機の後方から前方操縦室の方に燃え広がっていった。
滑走路上で地震の支援物資を運ぶ海上自衛隊の飛行機と衝突したようだ。
こんなことを言っては何だが、昨日の地震とこの大事故の2つが今年の厄払いになれば。
と思い見ていた。
*1月15日、「使うとき狭い部屋も掃除のときは広くなる」・・・相田みつを
今日は小正月、朝9時から僅か16坪の3階から1階までを掃除機をかけ、仏壇の生花も
仏具用の華に替えて終わったのが11時、少々疲れた。
ここ2〜3年前までは毎週3時間をけて軽快に熟していたがいつからか2週に一回になってきた。
とは言っても3日毎に各部屋のモップかけと毎週の仏壇の洗米と水替えはかかさない。
片づけを終わったあと、ふと
「使うとき狭い部屋も掃除のときは広くなる」の言葉を思い出した。
ネットにこの言葉を次のように捉えているのがUPされていた。
自分の気持ちひとつでその部屋は狭くも、広くも感じることができる。
とか、物事の受け取り方でプラスにもマイナスにもなる。
受け取り方で何気ない生活でも充実したものにできるとも言えると思います。
なるほど「部屋」を「心」に替えてみればそのとおりだと感心したが今日の私にとっては、
僅か16坪といっても延べ坪50坪程を掃除機での掃除と片づけは
「狭い部屋も掃除のときは広くなる」であった。
*1月17日 阪神・淡路大震災
平成7年(1995年)1月17日5時46分、淡路島北部を震源に発生したマグニチュード7.3の
大地震(兵庫県南部地震)による大災害が発生。
前日に同業者の新年会で挨拶のあと食事に移り、お酌の為に回りかけたが年末に強い
ギックリ腰を患ったので這いながら廻りかけると「支部長、無理せんでええから」と言って
自称宴会男の〇〇さんがやってくれた。
新年会が終わると「坂本さん、タクシーで帰らんでもわしが送る」と
言って自宅まで送ってくれました。
翌朝、そろそろ起きようかと思っていたら何かズズズッとと感じた途端、妻が私の後ろ首に手を
当て「お父さん起きて、地震や!」の声と同時に私のギックリ腰なんか意にせず起こした。
当時、16坪の3階建てに暮らしていた息子2人と娘が1階の台所に集まって全員が
「ものすごい揺れやな。テレビ映るか」とスイッチON。食事もそこそこに長男は一部上場の
某建設会社に出勤。幼稚園で主任の娘は勤務先へ、高3の次男は自宅待機、
私は車で15分程の工場へと向かった。
途中、淀川にかかる600m程の長柄橋の真ん中あたりで強い余震、両脇の街灯が激しく揺れて
思わず車外へ出ると前後の車からも車外へ出て身をかがめ、揺れが収まると全員が
「怖かったなぁ、もう終わりかと思った」。私もマジで橋が崩落すると思った。
工場に着き点検すると棚に置いてあった小さな部品数個が床に落ちているだけだった。
電気・水道・電話も異常なしだったのでテレビスイッチONすると、高速道路は斜めに崩壊・
阪急電車池田駅の惨状を見て「これは只事ではない」と思った。
配達の運転手さんと2人のパートの女性とは電話連絡が出来たので翌日からの勤務で
良いことを告げたあと自転車で10分程の得意先へ向かった。
幸い1台が数億円する20台の印刷機も軽微なトラブルで済んだとのことだった。
帰ってから姉妹に電話すると二人の姉とは連絡が取れたが妹と連絡が取れたのは一週間程
してからの事だった。妹の旦那さんは船員で航海中、一人娘は中学の卒業旅行で不在。
電話口で妹は「怖かったぁ。電気も消えてカーテンを開けると高圧線から火花が出ていて
旅客機が落ちたのかと思った(妹の自宅は伊丹飛行場を見下ろす高台にあったので)。
近所の人が扉をこじ開けて声をかけてくれるまでは死ぬかと思った。
薄っすらと明るくなると同時に膝のあたりが痛くて血が出ていた。部屋を見渡すと家具は倒れ、
食器が散乱。どうも割れた食器で切れた。近所の奥さんが太腿をタオルで縛ってくれた。
と震え声で報告。
それから2週間ほどして普段なら1時間半程を娘と一日係で梅田に着いたことを知らされた
迎えに行くと駅構内には被災の人たちがあふれていた。
タクシーで家に着くと第一声が「風呂に入りたい」だった。
さて、私だが妻に力強く起こされたので首が捻挫して近くの外科病院でギックリ腰と首の
マッサージに一月ほど通うこととなった・・・何か長々とまとまりのない文章だが綴ってみた。
*今回、石川県他の被災地の方々の頑張りを目にして、一日でも早い復興を祈ります。
*慈眼 視衆生・・・
次の問いかけがありました。
「今回の震災で亡くなられた方たちの葬儀に於いて、坊さんたちは戒名料とか読経料とかを
ためらうことなく当たり前にうけとるのかなぁ。各宗派の総本山が払うのかなぁ。
観音経、正しくは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品・第二十五」の偈文(げもん)の終わり
部分に慈眼 視衆生を説いた箇所があるよね。ネットでも掲載されているね」
具一切功徳(ぐいっさいくどく) 一切の功徳を具し
慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)慈眼をもって衆生を視(み)たもう
福聚海無量 (ふくじゅかいむりょう)福聚の海は無量なり
是故応頂礼 是の故に応(まさ)に頂礼(ちょうらい)すべし
「観音さまは無量の功徳を具え、慈悲のまなざしで私たちを心配しておられる。
海の幸のように 無数の恵みをかかえておられるから、心から念じて礼拝すべきである・・・と。
僧侶は慈悲のまなざしをもつことを悟りきっているからこのようなときに
金銭は受け取らないよな!」
「そうあって欲しいですね」とだけ答えました。
その3 に続きます
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