先人・偉人・賢き人の言葉 1
上/左から、ガンジス川への脇道・船着き場の散髪屋・ガンジス川沐浴(汚かった)
中/左から、沐浴のすぐ横の火葬場・ルンビニの涅槃堂・涅槃堂内部
下/入滅の地クシナガル 涅槃堂からすぐ近くの場所に釈尊が最後の説法をされた精舎があります。
左から、降魔成道像が安置されている精舎入り口でオルガンを奏でる少女。
少女にお金をわたすと近くに隠れていた10人程の大人子供がお金を求めた。
それを見たガイドに「坂本さん、お金や物をあげてはいけないと言ったでしょ」と叱られた。
門の奥にある精舎。
小さな精舎の中には11世紀パーラ王朝時代の降魔成道像が安置されています。
*鈴木正三 (すずきしょうさん・まさみつ)1579〜1655
鈴木正三は三河武士出身の旗本で、徳川二代将軍・秀忠に仕えたが四十二歳のときに、
世の無常を感じて出家し、諸国を行脚して厳しい修行を続けてその後、弟の初代天草代官・
鈴木重成の懇願を受け三度(みたび)天草に渡り、天草・島原の社寺復興と庶民に溶け入る
野の修行をも積んだ。
正三は道元に対しても「道元和尚などを隙の明けた人のようにこそ思わるらん。
未だ仏境涯にあらず、その自由になるものにあらず」といい、悟りを開かれたのは釈迦たった
一人で、ほかの祖師はまだその境地から程遠いと批判した。
「肩書や地位に意味なし」
一生に成仏せんと思ふべからず。修行は曠劫多生(こうごうたしょう)にかけてすることなり。
何度も生まれ変わり輪廻する長い年月の間に少し努力したからといって、肩書や地位や
資格を手に入れてそれをひらけかすことに何の意味があろうか・・・鈴木正三
僧侶に肩書や地位など不要のものです。大僧正というのも寺が与えた階位にすぎない。
・・・3月11日、総合病院に胃腸の内視鏡結果を聞きに行きました。
答えは「胃腸とも血管が鮮明に映っていて、ポリープもなく異常ありません」でした。
これで、頭のMRIも含めて異常なしを娘と息子にラインを送りました。
いつも両親を気遣ってくれることに只々感謝です・・・
*命と申す物は、一切の財(たから)の中の第一の財なり・・・日蓮
自分の命でさえも仏からの頂きものであると感謝して自ら命を断つということはしてはならない。
しかし、私は余命幾ばくもないと知らされ知ったとき(悟りきったとき)は延命処置を
自ら断つことは自殺ではなく、それを否定しない・・・間違いでしょうか?
*務め、励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境地である。
務め、励む人々は死ぬことがない・・・ダンマパダ・21句
設(たと)ひ飢え死に寒(こご)へ死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。
万劫千生(まんごうせんじょう)、幾回か生じ幾度(いくたび)か死せん。
皆な是れ世縁妄執(せえんもうしゅう)の故(ゆ)へなり。
今生一度(こんじょうひとたび)仏制に随って餓死せん。
これ永劫の安楽なるべし・・・道元(随聞記一・16)
*今なさざれば、なす時いつぞ、君なさざれば、なす人ぞ誰、今なすべきなり、君なすべきなり、
時はいく、人もまた行く・・・
最初は挫折の日々だったが生命保険加入実績全国bPを射止めた女性の言葉
正に、ブッダの教え「今(いま) 此処(ここ) 我(われ)」の言葉です
相田みつを/書家・・・めしを喰って静かに息をついていたら いつの間にか日が暮れて
気がついた時は墓場の中。
ゆくすえに やどをそことも定めねば ふみまようべき みちもなきかな・・・一休宗純
有島武郎/小説家・・・死ぬまで少年の心でいることのできる人は実に幸いである。
天真爛漫・支離滅裂の私。でも、いいんです。これが私の精一杯の生き方だから。
宇野千代/随筆・小説家・・・よく生きることは、よく死ぬことでもある。
人様に活かされ、良く生き、良く死ぬ・・・私の座右の銘の一つ。
梅崎春生/小説家・・・どのみち死なねばならぬなら、 私は、なっとくして死にたいのだ
ひとり来て、ひとり帰る 道すがら 何の思い残すこと あろうぞ・・・大漸
*最も素晴らしい念仏者は、「家族を持ち、在家でありながら、それに執着することなく、
見事に往生する者」
そして【在俗にありながら、なおそれに執われないことこそ最上なのだ、
そのように出来ない者が仕方なく出家するのである。】・・・一遍
*奈良仏教系の一番の特徴は、'仏教の本質'について研究していた学問宗であることです。
よって、他の宗派のような檀家も存在せず、お葬式もあげません・・・ネットより
*日本仏教は江戸時代よりも前にでき奈良仏教系を除いて、
わが身の事はさて置いて徹底した利他行の実践を最大教義とした「大乗仏教」です。
果たしてそれを実践しているか、否かは僧侶ではなく庶民が下すのです・・・ネットより
「釈迦は仏や菩薩(ぼさつ)などが、この世で迷っている衆生を苦しみから救い出して、
悟りの世界へ導くという”衆生済度などは説いていない。あくまでも己を律することである。
己を律すること、自己責任をぼやけさせてしまった大乗仏教は危険性を伴っている」
・・・ネットより
*失敗・・・
「失敗とう言葉は使わない」・・・トヨタ自動車社長 豊田正和
「限界は、他人ではなくて自分で決めるものです。
いくつになっても、皆さん自身が終わらせない 限り、ずっと続くプロの道が待っています」
「人は普通でいることが何より難しい」・・・トヨタ自動車会長 豊田章男
「私は失敗したことがない」「ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」
・・・発明王エジソン
「私は失敗したことがない」「成功するまで続けたならば失敗はない。
失敗とは失敗したままでやめてしまうからである」・・・松下幸之助
次回は その2
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