手帳に書き留めた文・3

             

   2015年6月の作品、阿闍梨像です。本体の高さ25p、材質は楠。畳も自分で作りました

来年(2021・6月)、節目となる75歳を前にして心に留めおく言葉。
「人ありて 我あり」・・・本当にそう思う。
幾度かの転換期に、あの人、あの人のアドバイス・励ましがあったからこそ今の自分がある。
そのことを忘れてはいけない。
母の口ぐせであった言葉「おかげ おかげの げ で暮らせ」も。

・・・明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは・・・親鸞聖人

「大変におうては 歓喜勇躍せよ」・・・大変なことにあったときこその頑張りが
その後を決める。35歳のとき、事業の転換期が来たことを感じ取り、迷わず機械化を
すすめ、100社ほどあった得意先を一社に絞り、社運をかけた。
そのことで実質利潤は向上し、同業者の中でいち早く週休二日制を実施できた。

神の罰は祈りてもまぬるべし。主君の罰は詫言(詫び言)して謝すべし。
ただ臣下百姓にうとまれては必ず国を失う。
ゆえに祈りても詫言してもその罰はまぬかれがたし。
ゆえに神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れるべし」
・・・黒田如水
仏の罰は謝れば許しを得よう。本山の罰は詫びれば許しを得よう。
しかし、多額の金品を布施として差し出す檀家と、庶民が家計をやりくりしての布施に
位をつけるようなことをする僧侶がおれば必ず庶民の罰をうけ、
二度と信頼を得ることはない。坊主はこれを心せよ・・・寺族に例えての私訳。


「人は 口のなかに 斧をもつ」・・・ブッダ。こころ悪しき人は必ず己の本性を口にする。

「今は待て」・・・甘言にのってはいけない。新たなもうけ話は、既に終わっている。

「井の中の蛙 大海を知らず。まさしく坊主のことなり」・・お話会でいただいた言葉。

「自分を自分以上に見せたい、というはかない栄華は、これからも人間が生きている限り

続くことだろうが、それでもって自他をあざむくことだけはつつしみたいものだ」
私は別格だと思う僧侶への言葉では?

「学人(がくにん)の第一の心は先ず我見(がけん)を離るべし、我見を離るといふは、
この身をも執
(しゅう)すべからず」・・・道元

生半可な借り物の知識で自分を固めると、自分自身を執着の虜にしてしまう・・・
この言葉は、私が最も心留めおかなくてはいけない言葉です・


「菩薩の用心(ようじん)は、みな慈悲をもって本(もと)とし、利他をもって先とす」・空海
自らは菩薩心をだきつつ、その自分をさておいて他人の利益のために
努力することが菩薩道。


「他人(ひと)には親切、自分には辛切(しんせつ)、法には深切(しんせつ)
・・・山本玄峰(げんぽう)

「なにともなく、世間の人の道にて、内心を調(ととの)へもてゆくが、
是れまことの道心者なり」・・・道元 

内容がともなわないのに善人ぶったり、求道者ぶったりしてはいけない。
衣服や容姿や肩書、地位などの外見で評価されるのではなく、
世間の人のようにさりげない恰好であっても、心の敬服をまとうのがよい。


「愛語(あいご)は愛心(あいしん)より起こる 愛心は慈心(じしん)を種子(しゅし)とせり 
 愛語よく廻天(かいてん)のちからあることを学すべきなり」・・・道元

   愛語とはよいことばで、それはよい心がけから生じ、慈しみの心を種子として、
   天の運行を逆転するくらいの力があり、会話は心と心の潤滑油である。
   よって、人との良き出会いは 快い会話から始まる
・・・仏教名言365日より


しても良いこと。いけないことは分かるのです。
でも、時として、しなくてもいいことをやってみたり、言わなくてもいいことを
言ってしまう。自分にとって不都合はもみ消し、注意されると激怒してしまう。
          
わかっちゃいるけど・・・なのですねぇ、私は。

千日回峰を成し遂げた僧侶が庶民に「いかに生きるか?」「心の病を持つ人を救うには?」
という説法を聞いたことがない。
何か社会問題に助言、寄与した?

講演を聞きに行ったが「行が辛かった。でも、成し遂げた」という、ほとんど自慢話だけ。
・・・ネットより。

人間の生死の問題を戒名料いくらなどという金の問題に還元し、それに頬かむりをして
高尚な理屈を弄ぶのが、日本の仏教のあるべき姿だとは、私には思われない。

 
  
             次回はその4です               

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