何でもメモ・4 青字は私の言葉です。

「人間は万物の霊長といわれるが 人を単体としてとらえると無能である 生活不能である 
集団としてとらえて初めて人間として成り立つ。
人は相互に大勢の他の人の余剰の恩恵を受けることによって初めて人間になっていると
(我が家の隣の方)なかなかうまい表現だと感心した」
人と人の間で活かされ、生きるから人間。ですね。

「親が子どもの面倒をみて、育てるのは多くの動物で見ることが出来る。
しかし、その子どもが成長して、年老いた親の世話をするのは人間だけです」
これは「万物の霊長」と胸をはって言える根拠かもしれない。
「年老いた 親のしあわせ わがしあわせ」・・・ある動物園の園長の言葉。
                              ・・・以上、ネットより

「人は何処へ赴こうとも 最も愛しいのは 自分である。
    と、いうことは他の人も同じ思いである ゆえに 他の人を害してはいけない」

「あなたのあるじはあなた自身です
    あなたのほかに 誰があなたの あるじで有り得ようか」
この、二つの言葉は仏教の祖・お釈迦さま(ブッダ)の言葉です。
真理の言葉を前にしての、小賢しい仏教論は失笑ものです。
仏教は他の人を慈しみ、己を律する教えです。与えて求めざる「布施行」の教えです。

「おてんとうさまの ひかりをいっぱい吸った 
          あったかい 座ぶとんのような人」
・相田みつを
自分を飾ることなく 淡々と生きている人は こちらから包まれたい気持ちになる・・・

「実質を伴わない外見だけの飾り(虚栄)にまみれた人は 自分を飾るがゆえに
 自ずと上から目線になり 自ずと 和を得られない」
・・・私の言葉

今年1月にお父さんの葬儀をさせていただいた方から                       
「父の初盆ですが、父は浄土真宗の教えにお盆の行事は必要ない。と言い遺しました。
 間違いでしょうか?」
の問い合わせがありました。
「盂蘭盆会は釋迦十大弟子の一人、目連尊者の母が飢えに苦しむ餓鬼道に堕ちたのを救おう
 とする物語『盂蘭盆経』に由来する行事です。
 浄土真宗の信者(門徒)は弥陀の絶対他力を信じ切り、弥陀に救われて極楽浄土に往きて
 生まれ変わっているので、死後の行事に囚われる作善行為は必要では無い。
 と言うのが宗祖・親鸞の教えです。   new8.html
 また、仏教に亡くなられた人が一時的にこの世に帰ってくるという教えはありません。
 お父さんは親鸞の教えを、きちっと理解されておられたのです」と答えました。       

 
「来年1月にお目にかかれることを楽しみにしております。またお話を聞かせて下さい」
  との、ありがたいお言葉をいただきました。


毎年、2月の母の祥月命日と8月のお盆は、兄妹夫婦の8人が集まっています。
私の読経中でも、小声で談笑していますが、別に罰が当たるということはありません。
「大事な子供、孫に、お爺さんお婆さんが罰など当てるかいな」・・・上の姉の言葉
読経のあと、近くの食堂で談笑第2段。両親の「よく喋るなぁ」の声が聞こえてきます。

そして、これが一番の供養と思っています。

「神様は居てはる 自分の良心が神さまや 良いことをすれば 良心がやわらぐ。
 悪いことをすれば 良心が痛む 神さまが罰を当てはるからや」・・・妻の言葉
間違ったことをしなければ神さまは微笑んでくださる。と信じること。
神仏は頼るにあらず 信心にあり。
神仏に頼ることは自分の弱さの表れである。神仏の意向に反さない生き方をすればよい。
と信じられる心構えを保つこと。これが仏教の説くところ・・・

「神仏を崇(とうと)びて神仏に頼らず」・・・宮本武蔵
この世に自分を人として生み出してくれた神仏を尊びこそすれ、この世でのことはかならず
自分が己を律し、切に生き抜いていかなければならない。ということを信じたならば
神仏に頼ることはありません。

「善因善果・悪因悪果」・・・お釈迦さま(ブッダ)の言葉
 自身の行いが結果につながる」のです。               
                 
ネルケ無方・著「日本人に宗教は要らない」より・・・
(坊主を職業としている今の日本仏教は要らない)
「宗教
(教義)にこだわりすぎている人には、本当の宗教心がない。
宗教が必要だと強く主張する人には、宗教心が足りない。
(凡人であることを自覚すれば、宗教は必要ない)
宗教心
(人生の目的を果たすための手段である道徳)が本当に自分の中にあふれていれば、
宗教を問題にする必要がない。
いま生きているその瞬間をないがしろにして、ほかに何をするのか。
(今 此処 我を切に活かし生るかを怠っては人として与えられた
 命、生き方を放棄するに等しい)

日本の仏教が葬式の時にのみ必要とされる「葬式仏教」となっていることを悲しむ。
(しかも、受け取った金銭で家族を養うとは・・・) 

司馬遼太郎・・・
日本仏教はいわゆる「大乗仏教」です。小乗仏教が丸木一本でただ一人が川を渡るとすれば
大乗仏教は百人乗りの筏という意味です。 
大乗仏教は釈迦の仏教とは断絶したものです。ひょっとすると全く違ったものかも知れません
 (ひょっとではない。全く違ったもの)

ネットより・・・
悪人正機(親鸞)善人=自覚のない人、悪人=自分がいい人ではない、凡人であることを
自覚している人。
自覚がなけりゃ救われないよね。 ソクラテスの無知の知と同じ感じ


                次回は そのD です
                
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