どう打ち克つか
第一次産業革命は、1700年代後半から1800年代前半にかけてイギリスで、
蒸気機関を動力として機械化し、作業能率を大幅に上昇させることに成功した。
1800年代後半に起こった第二次産業革命の中心は、アメリカとドイツです。
電力を用いて、工場での大量生産が可能になったほか、化学技術の革新も進んだ。
1900年代後半にコンピューターを用いて機械の自動化ができるようになると、
これが第三次産業革命と呼ばれるようになった。
そして、現在はデーターがネットを経由して大量に収集される。
これをAIによるデータ収集や解析技術が進み、人間からの指示が無くても機械が
自ら動く「自律化」が進みつつある第4次産業革命の中にあるといえるでしょう。
私たちは産業革命により、人間は便利さを得てきた。
しかし、その便利さに伴う犠牲を生み出してきた。
その犠牲とは、地球環境=自然界の営みの破壊です。
地球を卵に例えると、人間を含めた生き物はその殻の厚みの中でしか存在できません。
人間は便利さを求めることによって、殻の厚みの中に存在する自然界の仕組み・
恩恵を破壊してきました。
その代償として顕著に現れてきたのが世界的な異常気象だと言っていいでしょう。
破壊されたのは自然環境だけではありません。
自由には秩序・権利には義務があることが理解できない破壊的人間が
増えつつあるのでは?と思います。
そこで、AIを地球環境回復に役立たせ、僧侶が、哲学であり、道徳である釈迦の教え
=仏教を説き広めることで破壊的人間の回復がもたらせると思う。
宗教者である僧侶の最大の役目はそれである。
仏教の祖・お釈迦さま(ブッダ)は2500年ほど前のインドで釈迦族の王子として
生まれた。当時のインドでは、生きることは苦であると捉えられていた(今も尚?)。
王子である身でさえ、やがては老いさらばえて死に至るという真理に囚われるのでは
なく、これに打ち克つにはどうすればいいかを求め、ブッダガヤの菩提樹のもとで
ひとり瞑想に入り21日目に悟りを開いた。
悟りをひらいた人と言う意味でブッダ=仏陀といわれるようになり、
その教えから仏教が成立した。
その教えは真理から逃れるのではなく、それを受け止め、それを活かし、
常に前向きで切に生き抜きなさい。
そうすることによって、苦に打ち克つことができるという哲学です。
誇らしげにダラダラと教義を垂れるだけでは単なる化石のようなものです。
庶民のなかに入り、人として与えられた命を活かし、生きる教えを自分の言葉で
説き広めてこそ、各宗祖が命がけで説かれた教義が活かされ、生きるのです。
その役目を担っているのが寺であり、僧侶です。
それを実践するのが「大乗仏教」です。日本仏教は大乗の教えを実践する宗教です。
寺、僧侶の務めは葬儀・祈祷・観光だけではありません。
その対価によって寺の維持、家族の生計を図ることが果たして、仏教の説く
ところでしょうか?
地球環境回復はAIで、人間性回復は「本来の仏教」の叡智をもってすれば、
打ち克てると思います。
「本質を追求しないのは日本人の特徴である。問題が起こったときに事の本質を
徹底的に問いただそうとしない。和を乱すことになるからだ」と言われた方がおられる。
この言葉は、テレビでも取り上げられるようになってきた、葬儀・死後の行事にともなう
寺と檀家のトラブルにも言えます。
寺も檀家も「仏教とは?寺とは?檀家とは?」の本質を問い正そうとせず、
金銭トラブルに陥(おちい)る・・・哀しい限りですね。
3ページの女性のことばをもう一度読んでください。
そして「仏教とは?寺とは?檀家とは?」を、問い正していただければと思います。
次回は良寛さんです
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