皆さんも菩薩さんだよ

仏像教室でご一緒だった方のご主人がプロの写真家でした。その方に撮ってもらいました。
聖観音菩薩の左手に持っているのは蓮の華で、開花していません。
何故、左手に持っているのか?何故、開花していないのか?
それは、仏教では右半分が仏(悟り)とされ、左半分が煩悩の世界(娑婆・しゃば)と
されています。
なので、左手持っている蓮は煩悩の世界で未だ悟りを開いていない衆生を表して
いるので開花していません。
右手は掌を私達に向けて、怖れ戦き(おののき)があればいつでも救ってやるぞという
「施無畏(せむい)の印」を向けておられます。
尚、聖観音様は悟りを開かれたので開花した蓮台に立って、いつでも救済に向かえる
ように、右足を少し前に出しています。
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菩薩(ぼさつ)とは、サンスクリット語のボーディ(悟り)・サットヴァ(求道者) の
音写で、漢字では菩提薩埵(ぼだいさった)。
略して「菩薩」と称されています。
仏の中で最高位。真理に目覚め、悟りを開いた最高位の仏「如来」になることを
目指して仏道修行をしている人のことで、それをイメージとして姿に現したのが
「菩薩像」です。
一般的に装身具類をつけず、薄い衣一枚をまとい、螺髪(らほつ)という渦を巻いた
特徴的な髪形をしている「如来像」に対し、菩薩像は出家前の釈迦族の皇太子で
あった姿をイメージしているので、きらびやかな装飾品「瓔珞(ようらく)」を
身につけ、髪の毛を結いあげたり、宝冠をかぶったり、ショールを羽織ったり、
アクセサリーで胸や腕を飾ることもあります。
また比較的、立像(立っている姿の像)が多いのは、救いを求める人々をすぐに
助けに行けるように歩み寄ってきてくれる姿を表現しているからなのです。
*仏像は悟りに導く姿勢を擬人化したものであり、中性です。
以上、仏教的な菩薩を簡単に説明しました。
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菩薩とは悟りを求める人ですが、皆さんも日々の暮らしの中での、商売・会社
・学生さん達の勉学・ご近所・ご夫婦/家族・知人/友達との人間関係に於いて、
利益を求め・学業の達成・幸せを求めての
工夫(手段そのもの、あるいは手段を講ずる)を考え、良い方向へ向かうのも
「悟り」です。
立派な菩薩さまですよ。
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きょうは14インチのノートパソコン(重さ1㎏)で文章作成でのひと休みに、
31インチのディスプレイで、ベルリオーズ ・ラコッツィ行進曲を聴いています。
youtubeは一日を楽しくしてくれます。
その中でもオーケストラの演奏を観るのも楽しみの一つです。
50人・80人の演奏者の一人一人が音符にそって、それぞれの楽器を奏で、
演奏を聴く人たちに、情景を想像させ、感動させ、楽しませてくれる姿は
菩薩そのものです。
演奏会では演奏者の一人一人の動きが観れる2階席の出来るだけ席を
取ります。
私は音符をお釈迦さまの説かれた法(戒)と捉えていますが、考えすぎかな?
*ビゼーのアルルの女/ファランドール。カルメンのジプシーの踊り・ハバネラ・
真珠採り。ロッシーニのウィリアムテル序曲・泥棒かささぎ・セビリアの理髪師。
ドボルザークの新世界より。メンデルスゾーン・バイオリン協奏曲。
ブルッフ・バイオリン協奏曲。ヴォルフ=フェラーリのマドンナの宝石間奏曲。
チャイコフスキー・スラブ行進曲・・・ピッコロの音が好きです。
等々、聴きなれた曲ばかりですが、飽きることなく楽しんでいます。
他にも、タンゴ・ラテン・ウィンナーワルツ。そして演歌カラオケも。
今、女子大2年の孫には「じいじの葬式では、マドンナの宝石を弾いてや」と
遺言?済み。
幼稚園の門番さんをしているとき、年中組の女の子二人が泣きそうになって喧嘩を
しているのを見た先生が「さぁ、二人とも一緒にゴメンナサイをしようね」と言うと、
二人が同時にゴメンナサイと言って手をつないで園庭に走って行きました。
それを見て先生と私は微笑みながら顔を見合わせた。
二人の園児も先生も菩薩様です。
皆さんが一日を終えての反省・やりとげた。も悟りであり、
明日へ向かう姿は菩薩さまです。
「ところで、坊さんの悟りって何だろうね。
日々、悟りを求めているとすれば私等と変わらないね。
寺に籠り、小難しい悟りを求める坊さんよりも、庶民の日々の現実的な悟りのほうが
数段すばらしいんじゃない?」・・・知人の言葉
*仏教の目指すところは「すべての人々が幸せになること」です。
悟りだの、戒律だの、戒名だのは、仏教の祖・お釈迦さまが亡くなられてからの
後々の人たちが、屁理屈をこねて考え出したものにすぎません。
次回はビハーラ活動です
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